楽園の地図第89号 人生の絶頂期に仕事を辞める方法/ゲスト:新野文健さん(前編)

Rose street, Fitzroy, Melbourne, Australia
もくじ
はじめに
今週のゲスト 新野文健さん
〜人生の絶頂期に仕事を辞めた。ライフシフター。
〜お金の心配をどう乗り越えたのか。
〜あらやんのセカンドキャリアを彩る「コーチ」のお仕事/AI時代に欲しい「納得感」
今週のオアシス フィッツロイのグラフィティアート(メルボルン/オーストラリア)
おわりに
はじめに
うまくいきすぎても問題あるよねって話
長らく日本にいましたが、再び6月から海外に行きます。再び1ヶ月ぐらい放浪するんじゃないかと思っています。今、候補の地域が3つほどあってどれにしようか迷っているところです。半年ぶりの海外、楽しみです!
さて今週のゲストは、デジタル広告の世界で活躍したのち、2017年に退職して、その後はライフシフター(LIFE SHIFTER)という肩書きを持ち、あえて定職を持たず生きる新野文健さん(通称:あらやん)をゲストに迎えて対談を行いました。あらやんさんと私は、一般的に仕事をバリバリこなす時期である40歳前後に会社を辞め、転職するわけでもなくその後世間から見るとフラフラした生活を送っているという共通点があります。
ひょっとしたらこれを読んでいる読者の中には、今の会社や、今の業界を去りたい、離れたいと悩んでいる読者の方もいるかもしれません。20代ならまったく違う業界に飛び込んだり、仕事を辞めて放浪の旅に出かける例もあるかもしれませんが、35歳を超えると再就職も難しくなってきて、まったく違うことを始めるのは勇気がいることです(ちなみに私は39歳、あらやんさんは42歳のときにそれまでの仕事を辞めました)。
でも、たった一度きりの人生、もっと鮮やかな人生があってもいいんじゃないでしょうか。若い頃の失敗はいいとされていますが、中年の失敗もそれはそれでなかなか面白いものです。それよりも私はいくつになっても心の声に忠実に生きたいと思います。この記事がみなさんの背中を押すことにつながれば。
今週のゲスト 新野文健さん

新野文健さん
新野文健さんプロフィール
インターネットの黎明期よりデジタルマーケティング分野でキャリアをスタート。NEC ecotonohaでアジア初のカンヌ広告祭サイバー部門グランプリを受賞するなど、受賞歴も多数。2017年5月に退職後、新たな社会を見据えて「ライフシフター」として活動している。通称:あらやん。
オフィシャルサイト→ https://lifeshifter.me/
人生の絶頂期に仕事を辞めること。ライフシフター
楽 あらやんさんと私はすごく共通点が多いんですよ。普通の人生なら働き盛りの時期に本業の仕事を1回辞めているということ。それから、いわゆる「上がり」っていう感じではなくて、まだ模索があるところとか。他にもシドニーのボンダイビーチが好きとか(笑)、健康に対する意識が高いほうだとか、タバコが嫌いとか、いろいろあります。今回は人生のちょっとだけ先輩のあらやんさんに、いろいろ話を伺いつつ教えを乞おうかなと思っています。
新 ありがとうございます。
楽 やっぱり、読者が気になるところとしては、なぜあらやんさんが仕事を辞めたのかってところだと思うんですよ。しかも人生の模索の段階である20代とか、生活環境が変化する30代ではなく、40歳を過ぎてから会社員を辞めた。そのあたりをお聞かせください。
新 もともと広告代理店のキャリアが長くて、在職中には、いわゆる広告賞をとったりもしていました。
楽 カンヌの広告賞ですよね。デザインを中村勇吾さん(※1)が担当されたウェブのブランディングキャンペーンが広告賞を受賞されて。カンヌなんてなかなかとれないですよ。素晴らしいキャリアです。
新野さんが会社員時代に企画し、カンヌの広告賞を受賞した、「ECOTONOHA」。
(※1)中村勇吾=デザイナー、映像ディレクター。ユニクロのCMなど一連のユニクロのブランディングデザインや、「デザインあ」のディレクション、スマホ端末「INFOBAR」のUIデザインなどの仕事で知られる。
新 (おそるおそる)自分で言うのはちょっとあれなんですけど、そんなにとれないです(笑)。
楽 ここはアドタイ(※2)とかじゃないので自由に喋ってください(笑)。
(※2)アドタイ=「AdverTimes.」宣伝会議が発行する専門誌。広告業界の重鎮が読んでる印象。
新 (笑)。私の職場は外資系だったんで、特にアワードとかは評価の対象になりやすいんです。
楽 若くして出世コースですよね。賞を取ったのは何歳だったんですか。
新 30歳くらいですね。
楽 早いですよね。
新 うん、まあ。そこで、突如会社を辞めたわけなんですが、その理由は自分の中では分かりやすくあって、やってることがだんだんつまらなくなってきたんですよね。インターネット広告の黎明期みたいなところから、業界と一緒に育ってきたみたいな感じがあったんですけど、業界も成熟してきていろんなプレイヤーが入ってくる。そうすると競争も激しくなるし、専門性も高くなるし。
楽 WEB広告全般がレッドオーシャン化したわけですね。
新 新しくてわくわくすることが減ってきて、逆に効率よくこなしていくみたいな仕事が増えてきて、やってて楽しくないことのほうが多くなってきちゃった。
楽 これは別に広告業界の話じゃなくて、インターネットユーザー全員に言えることですよね。Twitterも日本に入ってきた初期って結構楽しかったし、ユーザー全体が気軽にメンション送り合ったりとか、今ほど殺伐としてなかった。今は誰もが揚げ足をとったり、特定の言葉でパトロールする人がいたり。でもそれはユーザーが増えて業界が成熟したからでもあるんですよね。
新 そうそう。黎明期から入ってきてる人は、次のブルーオーシャンを見つけて海を渡っていくわけですよ。ブログブームがあって、その後はTwitter、Instagramって次々渡っていくんですけど、インターネット広告っていう大きなワールドがほぼ完成したような状況になって、例えばソシャゲ業界とかスタートアップ業界とか、そういうところに移っていくみたいな人も増えてきたんですよね。
楽 それ、すごく分かります。私もインターネットは古くから親しんでたんですけど、昔、活発だった人、もういないですもんね。どこ行っちゃったんだろうって人がいっぱいいる。そこで一度キャリアをぶつっと切って、ライフシフターという生き方を始めるんですよね。
新 リンダ・グラットンっていう人が書いた『LIFE SIFT』っていう本が当時めっちゃ売れてまして、人生100年時代って言われるように、人の寿命がどんどん延びちゃって、80年ぐらいから100年ぐらいになると、今までのキャリアのロールモデルだと間延びしちゃってもたないよねっていうことを言ってるんです。それを読んだときに、すごく腑に落ちたんですよね。

新野さんの人生を変えた本「LIFE SHIT」
楽 なるほど。
新 自分もインターネット広告の界隈にいて、もう擦るところなくなっちゃったみたいなときに、今でこそリカレント教育とか学び直しみたいなことがありますが、新しいことを勉強してやり直すのもいいんじゃないかと。それで、もうインターネット広告の業界は辞めようって思ったんですよ。
お金の心配をどう乗り越えたのか
楽 お金の心配はなかったですか。
新 お金の心配はありました。でも、つつましく暮らせば2年くらいは生きていける預貯金があったので。それがアラフォーぐらいのときかな。今から8年ぐらい前。
楽 ライフシフター歴は約8年。でも普通に考えると、40歳ぐらいってちょうど働き盛りというか、一番脂が乗ってて経験もあって、体力的にも問題がなくて、組織のエースとかそういう人が多いイメージです。そこに対する野心というか、やるぜ!みたいなのはなかったんですか。
新 辞めた当時は、半年くらい経ったら次の転職先に行くと思ってました。でも、預貯金もあったし失業保険も出るしみたいな感じでやりくりしてたら割と楽しく半年過ぎちゃって、まだ全然いけるなって。でも、1年目はどんどん残高が減っていくので精神的な不安もありましたよ。
楽 楽しいけど不安もあるみたいな。
新 2年目になると所得が減ってる状態なんで、所得税とか住民税を払う額がガクンと減ったんですよ。
楽 私も会社を辞めたことがありますけど、あれ、でかいですよね。いきなり住民税が少額になって(笑)。
新 1年目のときって、収入ないのに後から税金がやってきて「うわー」って思ったんですけど、1年過ぎたくらいから思った以上に減らないじゃんって。
楽 付き合う相手とかも変わってきましたか。
新 付き合う相手が変わったっていうよりも、行動する時間帯や日時が変わったことが大きいですね。平日自由に動けるようになって、安くて豪華な平日のランチが楽しめたり、オフシーズンに旅行に出掛けると安くて空いてたり。
楽 オフピーク消費っていうことですね。そうすることで生活のコストも下がったし、住民税も下がったし、毎日時間を自由に使えて楽しいし。イメージとしてはモラトリアムがもう1回来たようなイメージなんですか。
新 自分の感覚は、ちょっと早めに年金生活者になったって感じ。とは言え預金残高はじわじわ減っていくんで、自分が年金もらうタイミングになったらこういう感覚が来るんだな、こりゃお金のことばかり気になってくるなと。会社を辞めて半年後ぐらいにファイナンシャルプランナーの資格試験を勉強しました。楽園さんも試験、受けてましたよね。
楽 通りました。私もFP資格持ってます。
新 周りの人には「そんなフーテンな生活してて大丈夫?」って何となく思われてる気がしていたんですけど、ちゃんとお金の勉強もしてて、何ならあなたよりも詳しいと思うよっていう軸ができました。その知識が、自分の不安をやわらげるのにすごく役立ちました。
楽 ま、ある種の理論武装ができるようになったと。そこからはお金の心配も消えましたか。
新 知識をまとったことで、無駄な不安みたいなものは消えました。なんだかんだ言って日本って社会保障は、ちゃんとしてるし。
楽 無駄な心配が減ったって感じですね。社会って、不安をつくり出すところあるじゃないですか。
新 そうね、広告代理店とかも片棒をかついでますけどね。
楽 今、社会に一石を投じましたけど(笑)、広告はまさにそうですよね。電通も「戦略十訓」(※3)とか言って広告業界の裏側を自らバラしているし。別に広告じゃなくても、会社だったら社内のムードとか、圧力とまでは言わないけど何とも言えないものがあるし。会社を辞めたら人生詰むぞ、ってどこかで思わされてるような節はあるかも。
戦略十訓(※3)=「もっと使わせろ」、「捨てさせろ」「無駄遣いさせろ」などの言葉で占められていて、要するに消費者をいかに煽るかが示されている言葉。いやーな言葉ですが、あなたも広告に騙されないために知っておいてもいいかもしれない。
新 これ、あんまり言ってないんですけど、その頃、同時にビットコインをちょっと買ってたんです。そしたら2017年にビットコインブームっていうバブルがあって。ちょっとずつ生活費とかを貯金から切り崩してるはずなのに、総資産は減らないっていうおかしな現象が起きました。減った分、ビットコインが値上がりしてカバーしてくれてるんですよね。ちょっとずつ減ってたグラフが、あるときから水平移動になったんです。何だこれは!?みたいな。
楽 不思議ですね、全然働いてないのに。
新 その後、コインチェック事件っていう盗難事件があってビットコインバブルが弾けた後に、残高がガーンと減っちゃいまして。その頃には、もう俺はこれで生きていけそうだみたいな謎の自信が備わってて、実際、資産は大きく減ってたんですけど結局、今に至ってやれてます。
楽 なるほどねえ。別のお金の取り口を見付けられたことも大きかったんですかね。それで言うと、私も不動産や株の所得があるからなんとか平静を保っていれるところはあります。
新 そうですね。個人事業主として開業届出してコンサル業とかもやってたんですけど、最初、お金がなくなってきたときは、家にあったブランド品を、どんどんメルカリとか中古の服買い取りとかに出しまくって、それで日銭を稼いだりもしました。あとはコロナのタイミングだったので、コンサルの仕事もこの先どうなるか分からなくてやばいと思ってたら、給付金が下りたんです。そんな感じで運よく食いつないできました。
あらやんのセカンドキャリアを彩る「コーチ」のお仕事/AI時代に欲しい「納得感」
楽 それで、1回ライフをシフトされて。今後の人生についてお伺いしたいんですが、基本は現在の延長に進んでいくご予定ですか?
新 ここにきて何かやったほうがいいんじゃなかって気持ちはでてきました。
楽 7年前の2018年にFINDERSのインタビューを受けられて、そこから現在に向けて、お気持ちが変わったわけですね。そのあたりを聞かせてください。まず、最近はコーチング(※4)をお仕事としてやってますよね。コーチングはいつ始めたんですか。
(※4)コーチング=英語のcoachingと同義ですが、1990年代ごろから職業、専門職として認知されるようになってきた。コンサルタントが組織や個人に具体的な解決策を提示するのに対し、コーチはクライアントの話を傾聴し、解決策を本人から引き出すという違いがある。コロナ以降のリモートワークの浸透や、世界的なフリーランスの増加により、コーチの需要は増加傾向。

THE COACHのホームページより。コーチの新野さん。
新 コロナ真っ盛りの緊急事態宣言が出ていたときに、もともと自分が知り合いからコーチングを受けていたんです。個人事業主で1人でやってると、これからどうしようみたいなことを相談する相手もあんまりいないので、誰かと壁打ちというか話がしたくて。仕事も今までどおりのことができなくなって、どうしようかというのを相談していたら、「あらやんさん、コーチング向いてそうだから勉強してみたら」ってスクールをすすめられて受けたのがTHE COACHです。僕は1期生で、当時、オンラインのコーチングスクールを始めますっていうのをTwitterで見かけて申し込みしました。
楽 渡りに船ですね。というか、あらやんさんの人生って、そういうのが多いですね。
新 そうなんです。ラッキーなんですよ。
楽 前世でいいことしたのかな(笑)。コーチングは興味があって、私もちょっと受けてみたことがあります。コーチングを受ける側が感じる魅力って、まさにフリーランスの人や、相談しづらいことについて悩みを相談できたりすることだと思うんですが、コーチングをするほうから見た魅力って何ですか。
新 僕の解釈なんで一般論とは多少ずれるかもしれないですけど、いろんな人の悩みとか価値観に触れて、考え方って本当にたくさんあるんだなというのを実感できることでしょうか。中には自分と同じような考え方を持つ人もいて、同じ考えの人がいるんだ! って思ったり。
楽 自分と似ている考えの人に出会うとやっぱり嬉しいですか?
新 親近感はわきますね。コーチとしてはフラットに接しなきゃいけないので、業務としては感情入れずにわきまえるんですけど。
楽 逆に、自分とは違う考え方するんだっていう人もいると思うんですが、それはそれで救いというか癒しになるんですか。
新 自分の中の納得感ですかね。楽園さんはどうか分からないですけど、僕はやっぱり世のなかの出来事とかものごとに、納得感が欲しくなっちゃうんです。
楽 分かります。
新 いろいろ調べたりとか、多角的に反対派の意見も賛成派の意見も聞いてみたりしますね。いろんな価値観の人がいるっていうのは一般的に言われているけど、それを体感すると納得度が増すんです。
楽 納得って大事。私のここ最近のテーマかもしれない。今ってAIの時代で、考えることを勝手に誰かがやってくれるじゃないですか。質問をぶち込んだらそれっぽい結論がぽんって出てくるけど、そこに自分の思考回路はないから納得感はないですよね。
新 思考回路はブラックボックスになってるからね。出てきた答えだけ見ても、なんでそうなる? がないと納得しづらいですよね。コーチ同士の練習会が頻繁にあるんですけど、他のコーチがどういうふうにやってるかとか、どういう心構えでコーチングを提供してるのかみたいなことも、やっぱり人それぞれなんですよ。そういうとこからも、人ってそれぞれだなあと思いますよね。
楽 コーチを初めて、ご自身の対人関係はよくなったんですかね。
新 もやもやすることがあっても自己解決しやすくなりましたね。
楽 読者の皆さんも納得感ってほしいと思うんですよ。あらやんさんも私も会社辞めてるけど、それってずっと会社で仕事してる人からすると納得しづらいと思うんですよね。だけど、ずっと会社員を続けてたら得られなかったスキルをあらやんさんは得てるわけで。会社員生活と引き換えに得たそのスキルって何でしょうね。まとめると何だったんでしょうね。
新 何だったのか......深い質問ですね。うーん、うまく答えにはまるかどうか分かんないんですけど、最近思ってるのは、全て正解で全て不正解っていうこと。禅問答みたいな感じなんですけど。全てのことが正解である、しかし部分的に正解だ、みたいなことを言ってる人がいて。その人の中では正解だけれど、日本全体から見たらそれはよくないよねとか、世界全体から見たら間違ってるよねとか、見る視点とか立場によって正解、不正解って変わるわけじゃないですか。会社員を続けることも正解だと思うし、辞めることも正解。でも立場逆転してみると、それも入れ替わる。だからみんなが同じようなことをしなくてもいいし、広告代理店で長いこと働いたとか、ファイナンシャルプランナーを取ったとか、ビットコインを買ったとか、そういうことを経て今の自分だから納得できてる感じがあるんです。そういう組み合わせの条件なんて何億とおりもあるわけで、一概にこれがいいよみたいなことは言えないなあと思いますね。
楽 じゃあ会社を辞める前の自分がここにいたとしたら、何を教えてあげたいですか。
新 思ってることは大体合ってるよ。
楽 そのまま行け、と。
新 当時の自分が考えたこととかは、まだ答えや結果が出てないこともあるけど、大体合ってるんじゃない?って。
楽 何かが確信に変わった感じなんですかね、何かもやっとしたものが。
新 ああ、そうですね。
楽 うっすら思ってたことがそのとおりだっていうか。
新 大間違いだったみたいなことは、あんまりないですね。
(後編に続く)
今週のオアシス フィッツロイのグラフィティ天国(メルボルン/オーストラリア)

フィッツロイのグラフィティ
今日インタビューに出ていただいたあらやんも私もオーストラリアが大好きで、トークの最初の方に出てきてるボンダイビーチはシドニーの近郊にあるビーチです。シドニーがオーストラリアいちばんの都会なら、メルボルンは第二の都市なのですが、なかなか居心地の良い場所です。
オーストラリアに行ったことがない人に、オーストラリアの良さを伝えるのは少し難しいのですが、簡単に言えば、「ちょっとおおらかなアメリカ西海岸」と言えるかもしれません。もっと卑近に例えると、「日本の湘南エリアと、LA近郊の、ちょうど中間!」と言って良いかもしれません、いろんな方面に怒られそうですが、だいたいあってます。LA近郊ほどは物価も高くないですが、それなりに自由な気風と素敵な天候があって。
そんなメルボルンの中心部から少し北に行ったところに、フィッツロイという地区があります。今、この記事を書くためにGoogle Mapを見たところ、地区の説明が書かれていたので引用しますね。
自由な街としての評判と、フィッツロイの多彩なバーやレストランなどで活気のある郊外で、学生、週末を過ごす人々、若手ビジネスマンたちに人気があります。狭い裏通りにはストリート アートが展開するほか、街角のパブやテラスハウスと並んで小さな画廊が建ち並んでいます。ブランズウィック通りはトレンディな小売店やナイトライフが特徴です。またガートルゥード通りは、デザイン材料店や美術材料店、ワインバー、にぎわうレストランの数々で知られています。
さすがGoogleさんだなというか、私の言いたいフィッツロイのイメージをすべてカバーしていました。もともとはおそらくやや古い郊外という場所だったと思うのですが、いつの頃から中心部より家賃が安いということで若者が住みだし、その若者たちが街を大きく変えた好例だと思います。オーストラリアはフロンティアを開拓していってできた国なので、アメリカと同様、いや、ある意味でアメリカ以上にDIY精神があるというか、人々が自分の可能性を信じて、クリエイティブな仕事をして暮らしている印象があります。そしてそんな街を彩る数々のグラフィティ。




フィッツロイを歩いていると、いつの間にか自分も何か描きたくなってしまうような、そんな衝動がわきます。大通り沿いにはおしゃれな雑貨屋、アパレル、アイスクリーム屋などが並んでいて、どれもおしゃれなんですが、この街に来たら裏通りを歩いてみてください。そこには、まだなにもない場所に行けばいくほど、誰にも注目されないグラフィティがあるはずです。
おわりに
(船から飛び出して船の燃料を探し出して早1ヶ月・・・の船長と助手。)
助手「歩き疲れたな」
船長「そうだね。へとへとだよ」
地元のドライバー「おい、お前ら。見慣れない顔だな。どこにいくの?乗せてあげよっか?」
2人「え、いいんですか?」
船長「僕たち、船の燃料を探してるんです」
助手「船の燃料がないと出航できなくて」
ドライバー「ふうん。船の燃料か。この先にはウォルマートとショッピングモールしかないけど。あ、でも知り合いが漁師だから、何か知ってるかも」
船長「マジですか?」
助手「その人のところへ連れてってください」
ドライバー「暇だから送っていってやるよ」
助手「助かった〜」
船長「ヒッチハイクってやつだ〜」
助手「旅で感じる人のやさしさ〜」
船長「生きててよかった〜」
(つづく)
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