楽園の地図112号 ロシア、ウクライナ・・・今は行けない観光地たち
COFFEEMANIA, Sheremetyevo International Airport, Moscow, Russia
もくじ
はじめに 子供は正直、大人は・・・
今週の楽園 欧州の旧ソ連(ロシア、ウクライナなど)
楽園エリア1 モスクワ
〜現代モスクワの最先端観光スポットと、モスクワが産んだ巨匠ドストエフスキー
楽園エリア2 その他ロシアとベラルーシ
〜「世界三大美術館」に、「全宗教の寺院」。魅力的なロシアの地方都市
楽園エリア3 ウクライナとモルドヴァ
〜ウクライナにもし戦争がなかったら・・・
楽園エリア4 バルト三国
〜小さな国に豊かな食文化と世界を席巻する企業
おわりに
はじめに
子供は正直、大人は・・・
「子供は正直」という言葉がありますが、という慣用句が成立するということは、「大人は子供より嘘つき」という意味になりますよね。確かに周りを見渡してみても嘘つきの大人は多いです。はっきりした嘘はなくても、隠し事は多いんじゃないでしょうか。まあ確かに、隠し事の一つや二つができてからが大人の始まりかなという気もします。
私はどうも、隠し事のたぐいが苦手です。何か秘密を所持していおく機会は、なるべくなら減らしたい。そう思った象徴的なエピソードがあります。
会社を起業して6年経った頃、税務署から税務調査の依頼が入りました。うちの会社は創業時から同じ税理士に任せていますが、その担当税理士が、「楽園さん、普通にやってれば6年ぐらいで一度税務調査を受けることになるでしょう」と言うのです。その通り、ぴったり創業から6年後に調査はやってきました。
調査が始まる前、私のストレス値はマックス状態でした。私は誓って、意図的な脱税の類はしていませんでしたが、ではこの6年間に提出した資料のすべてに、一言一句間違いはないかと言えば自信はありません。例えば契約書の書類は山のようにありますが、日本の税務に照らし合わせると、報酬額が記されているすべての契約書類に収入印紙を貼る必要があります。収入印紙とは、切手に似たものですが、これを購入するのが納税の代わりになります。でも、では6年間の業務にかかるすべての書類にちゃんと印紙を貼ったのだろうか。見返すと不備はありそうです。そのちょっとしたミスからマルサが怒って・・・。などと税務調査が決まってからの2週間ほど、私は気が気でありませんでした。それに、当時は今と違って資金的な余裕もないので、何らかの形で課税が発生したら、会社の存続が危ぶまれる可能性があったからです。追徴課税と、6年分の滞納利息という臨時支出に耐える余裕がなかったからです。
でも、努力はしたなと同時に思いました。私は26歳で起業して、当時6年目ですから32歳まで、未熟な頭でやるべきことはやってきた。そして、社員を雇って、ということは不景気な日本でいくつかの雇用を産んで世の中に貢献してきたはず。これでもし追徴課税だとか、最悪の場合は脱税だなんだ、みたいな話になったとすれば、それはそれで運命として受け入れるしかないなと。それから、今後は以前にもまして、せこく節税するぐらいなら素直に申告していこうと決めました。世の中には様々な節税対策がありますが、もともと100のお金を125ぐらいにするのが節税なわけで、危うい節税対策をするぐらいなら、素直に支払って、税務調査が来ても堂々としていられる人生を生きよう。その方が絶対に気持ちいいし幸福度が高い。そう思い至ったのです。これは別に正義感とかではなく、単にちょっとした罪悪感と、それによって節約できる税金の額を天秤にかけたときに、私はクリーンに生きたいと思ったからです。
この葛藤は、当時の社員はきっとわからず、私の心の中の葛藤です。あのとき、正しい選択を下せたから、私は今も、素直に生きれているのかもしれません。そんなことをふと思いました。今日はそういう、人間の心をテーマにしたドストエフスキーさんが本編に登場しますぜ。
◇
さて、今週は、ロシア、ウクライナなど、旧ソ連を構成する国のうち、ヨーロッパ側に位置する7カ国が舞台です。ご存知の通り、ロシアとウクラナイはもっか戦争中です。しかし、もし戦争などなければ、ロシアもウクライナも、とても楽しい観光地です。今回紹介する観光地の大半は、すぐには行くことができないかもしれませんが、でもとても美しい場所です。ざっくり、「今は行けない観光地」というテーマで紹介します。もちろん、観光地情報だけでなく、楽園の地図らしく様々な文化も紹介していきたいと思います。
今週の楽園 欧州の旧ソ連(ロシア、ウクライナなど)
今週は、ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、エストニア、ラトビア、リトアニア、モルドヴァ。以上、かつてソヴィエトを構成していた国のうち、欧州側に位置する7カ国を舞台にしています。楽園の地図では、この7つの国を4つのエリアに分けました。
1. モスクワ(地図中、ラベンダー色の星)
2. その他ロシア、ベラルーシ(地図中赤色)
3. ウクライナ、モルドヴァ(地図中緑色)
4. バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)(地図中青色)
実に、4つのエリアのうち3つが、ロシア=ウクライナ戦争に関わっていて、残る1エリア(バルト)も、プーチンの脅威に怯える欧州の戦禍最前線の国たちです。
戦争がなければ楽園だったかもしれないのに。でもまあ、自宅にいながらロシアを感じることもできます。たとえば、、、
楽園エリア1 モスクワ
現代モスクワの最先端観光スポットと、モスクワが産んだ巨匠ドストエフスキーについて
スパシーバ! 戦禍のモスクワより最先端観光ニュースをお届けします。まず、モスクワっ子憩いの場として2017年(わりと最近)にオープンしたザリャジエ公園(Zaryadye Park)を紹介しましょう。 ここ、有名な赤の広場やクレムリンから徒歩で歩ける場所に登場した再開発スポットです。ここはかつてロシアホテルというモスクワで最も大きなホテルがあった場所なのですが、跡地が公園となりました。でかいホテルの跡地だけあって、78000平方キロの敷地があり、コンサートホールやメディアセンター(要は日本で言えば代々木公園的なとこですね)はもちろん、氷点下の北極圏の生活を表現した「氷の洞窟」や、公園の外に迫り出し、宙を浮いてるように見えるパリシャー・モストという、支柱のない橋(ここから赤の広場がよく見えるフォトスポット)が名物の場所など盛りだくさんで、新しいモスクワの国際的な観光スポットとなって世界中から人が集まる予定でした、戦争前までは。。
ザリャジエ公園のパリシャー・モスト(イメージ)
もう一つ、デポ・モスクワ・フードモルルも2019年、つまりコロナの直前にできた施設。ロシア語の妙で、フードモルルと聞くと、フードモール、つまり巨大なフードコート的な施設だなと思ったあなた、正解です(英語名:Depo Moscow FoodMall )。フードコートも巨大ですが、巨大な巨大なロシア各地から集まった75のレストランと、140軒の市場・テイクアウト専門店が合体した施設。2019年オープンなのでコロナ、戦争と続いた現在は、残念ながらロシアっ子以外はほとんど行く機会がなかったと思います。でも、こんないい施設、観光客に開放しなくてどうすんねんって感じでございますわね。
さらにツィ・ヴィンザヴォド。ここはかつての巨大なビール工場の跡地を使ったアートスペース。日本の都市開発は商業ビル中心なのであまりないですが、例えば台湾で言えば文創エリア、中国大陸で言えば北京の798芸術区なんかのイメージに近いと思います。これも2007年オープンなので、最近の施設なんですよね。
こうやってみると、モスクワって次々に新しい観光スポットが増えていて、観光するととても面白そうな街。ぜひ行ってみたかったなあ(私は飛行機のトランジットで利用したのみ)ああ、戦争終わらないかな。。
◇
さあ、今日はちょっと、偉大な作家に迫りたいと思います。フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー。つまり、ドストエフスキー(Dostoevsky/Достоевский)。代表作「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」など。どうです? 世界には様々なプロフィールがありますが、代表作「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」ってものすごいプロフィールですよね。重厚感ありすぎてやばい。自分のSNSのプロフィールに書きたいぐらい。笑。
このロシアを代表する19世紀の文豪、世界でも5本の指に入る作家(ちなみに、我がChat GPTくんに世界の5大作家は誰と聞いたら、シェイクスピア、トルストイ、ドストエフスキー、カフカ、ガルシア=マルケスを挙げました。うん、異論なし。あ、でも、ヘミングウェイも入れたいけど無理? あと個人的にはサン=テグジュペリも入れたい)
とにかくこの、ロシア、モスクワが産んだ作家、ドストエフスキーがとんでもなく偉大であることは、いかにロシアが憎い人だろうと否定しようがないでしょう。そんなドストエフスキー、ここまで持ち上げといて残念ながら私は読破したことがないんです。確か「カラマーゾフ」は読むために文庫本を購入した気がしますが、残念ながら最初の数十ページで挫折してしまいました。カフカの「変身」や「アメリカ」は読めたのに!
私が途中で挫折した「カラマーゾフの兄弟」は、ドストエフスキーの遺作であり、名作中の名作と言われています。あの現代日本文学の村上春樹は「世の中には二種類の人間がいる。カラマーゾフの兄弟を読んだ人間と読んだ事がない人間だ」と言ったそうです。春樹さんよー、俺、読めなかった側の人間だよ。でも卑しいから、せめてどんな話かだけでも知りたい。簡単にまとめて、3行で。。
そこで私はこの機会に、カラマーゾフがどんな話だったのか、ここで紹介したいと思います。
19世紀ロシアの田舎町、成り上がり地主で放蕩の父・フョードル・カラマーゾフが殺される。
疑われたのは、父そっくりの女と金が大好き長男ドミートリー。神を信じないインテリ次男イワン、
修道僧であり純粋で真面目な三男アレクセイと共に、事件の真相と各人間の内面をえぐる。
(3行)
どう?結構面白そうでしょ。てか、世紀の名作はまさかのミステリー小説だったのか!笑
でも、ミステリー(誰が父を殺したか?)だけなら、この作品は世紀の名作とはならなかったでしょう。この作品は、そのミステリーを通して、典型的なキャラクターを持つ三兄弟が、良心と、欲望や嫉妬や疑いとのせめぎ合い。そういう誰の心にでもある葛藤を三兄弟(+α)を通して感じるストーリーであるのです。特に面白いのは、現代と違ってまだ宗教(キリスト)が強かった時代に、モスクワの大学で勉強して宗教よりも科学や現実主義路線を考えるようになったイワンが、神の存在を疑うという、現代人であれば誰でもは共感できる葛藤を抱えていて、それがどう昇華されるかを描いたのが、この作品が名作と言われる所以でしょう。ですよね、春樹さん。
いや、あらすじを聞いた限り、思ったより面白そうだし、若い頃はピンと来なかったけど、中年となった今だからこそいろいろと思うこともありそうな作品と言えそうです。
作品に興味が湧いてきたことで、ドストエフスキーそのものにも興味を持った私、モスクワにはドストエフスキー像があるほか、ドストエフスキー館のある国立文学博物館、モスコフスキー・ドム・ドストエフスコヴォ(ドストエフスキーがかつて暮らしたアパートを再現したアパート)など、彼にまつわる史跡がたくさん残っています。あとでも紹介するけど、サンクトペテルブルグには、ドストエフスキー博物館もあります。
一人の作家を中心に、ある都市やある国がとても身近に感じられる。そういうことってないですか? 私にとって、モスクワはロシアの首都であるだけでなく、ドストエフスキー生誕の地という重要な意味があります。以上、モスクワより楽園の地図でした!
楽園エリア2 その他のロシア、ベラルーシ
「世界三大美術館」に、「全宗教の寺院」。魅力的なロシアの地方都市
ここからは、モスクワ以外のロシアと、隣国にして欧州でロシア側に立ち孤立するロシアの唯一の仲間、ベラルーシとともに紹介したいと思います。
ロシアと言えば首都モスクワがとてもメジャーですが、他にも魅力的な観光地がたくさんあります。そこで今回は、ロシアの他都市、なかでもサンクトペテルブルグとカザンの2つの都市の魅力をお届けします。
まずはサンクトペテルブルグ(Saint Petersburg)。英語読みするとセント・ピーターズバーグ。ロシア第二の都市で、人口は550万人、都市圏の人口は640万人、これはスペインの首都マドリードや、オランダのアムステルダム首都圏に匹敵する規模、知名度はアムステルダムほど高くはないですが、欧州を代表する都市の一つと言えるでしょう。もともとロシア帝国建国時の首都だったサンクトペテルブルグは、ロシア内ではどちらかと言えば欧州的でリベラルな空気があるので、きっと市民は戦争を辞めたがっていることでしょう。
サンクトペテルブルグと言えば、何と言ってもエルミタージュ美術館でしょう。
エルミタージュ美術館(イメージ)
エルミタージュ美術館は、世界三大美術館の一つとして知られています(ちなみに、残りの二つはパリのルーヴル美術館、ニューヨークのメトロポリタン美術館と言われています)。所蔵品には、レオナルド・ダ・ヴィンチ、カラヴァッジオ、レンブラント、ルノワール、モネ、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、ルソーなど、この1館で欧州の美術史がわかるほどの豊かさ。美術品好きには、何日あっても足りない旅でしょう。さらに、内部のモザイクが美しい血の上の救世主教会、オペラもマリインスキー劇場(日本や他の先進国の3分の1の価格でオペラを鑑賞できると言われている)そして前章で紹介した世界文学史上に燦然と輝く作家・ドストエフスキーに関する展示を行うドストエフスキー博物館などあり、文化都市であると同時に、なんつうか戦争で行きづらくなってるけど、はっきり言ってペテルブルグもモスクワも、あとで登場するウクライナの諸都市も、欧州を代表する文化都市であり、三大美術館の一つが簡単には訪問できない状態になっているというのは、世界的な損失があると言っても過言ではないでしょう。何やってんだよプーチン。戦争はいいから俺に印象派の絵画を見せろ、モネを見せろ、セザンヌにゴッホを見せろ、お前は信長の野望とか戦略ゲームでも家でやっとけ、なんて思います。
サンクトペテルブルグはカフェ文化も発達しておりまして、Coffee 22、ベーカリーカフェのBusheなど、私のGoogle Mapの行きたいにも様々な場所があります。ああ、ここも戦争が終わったら、いつか行ってみたいな。
◇
ロシアからもう一つの今は行けない観光都市を紹介しましょう。オリンピックの開催地となったソチと悩みましたが、カザンを紹介します。カザンは、モスクワの東800キロ(普通に考えれば遠いが、広大なロシアの地図を広げると近いように見える。これがロシアの不思議)にある、人口130万人程度の地方都市。モスクワやペテルブルグほどの大都市ではないですが、タタールスタン共和国という国の首都であり(わかりづらいですが、ロシアはロシア連邦で、連邦内に複数の共和国を抱える体制)、タタール人が多く暮らしています。タタール人はどちらかと言えばトルコや中央アジアに分布する民族に近く、イスラム教を支持しています。
つまり、カザンという街は、ロシアの文化と、イスラム系の文化が交差する地域で、そのことが比較的画一的に見えるロシアの地方都市の中でも個性を浮かび上がらせています。モスクに教会、さらにクレムリン(ロシア語で城塞を意味します)まであります。
そんなカザンの宗教的寛容性、多様性を体現した施設に、その名も「全宗教の寺院」(英語名:Temple of All Religions)はあります。まず名前がめちゃくちゃかっこいい。全宗教を祀るという理念の元、キリスト教、イスラム教、仏教、ユダヤ教、土着の宗教まで、ありとあらゆる宗教を祀るという暴挙、いや平和的活動に着手しました。私は実は最近、宗教に興味が湧いてきたんですが、でもどこか特定の宗教を信仰するというよりも、宗教という概念そのものを感じたいなという気分でして、この施設、とにかくなんでもいいから神に祈りたい私にとってはめっちゃいいと思います。株で例えると信仰界のオルカンです。なんで今までこれがなかったんでしょうか。和食も洋食も食べられるファミレスみたいで最高じゃないですか。
全宗教の寺院(イメージ)
この全宗教寺院、見た目もかなりトリッキーで、昭和の日本の遊園地みたいなセンスですが、最高だと思います。全宗教を愛すぐらいの精神が全員にあれば、戦争なんてなくなったんじゃないですかねえ。ねえ、ジョン・レノン先生。
最後になりましたが、カザンでしか食べられない、なかなかお目にかかれないタタール料理というものがあります。チャクチャク(簡単に言えば蜂蜜でスナック菓子を固めたようなメタなお菓子です→(参考))エチポチマク(タタールスタンのピロシキ)など、あまり他では見かけないような料理が食べられるのもカザンの魅力。
こんな魅力的なロシアに、日本人など西側諸国の旅行者は、基本的には入ることはできません(ウクライナと違って直接戦禍に巻き込まれる可能性は低いものの、外務省はロシアを不要不急の渡航を禁止と指定しています)。ああ、戦争なんて終わればいいのになあ。以上、ロシアよりお届けしました!
楽園エリア3 ウクライナ、モルドヴァ
ウクライナにもし戦争がなかったら・・・
プリビット(Привіт)! ここからは、ウクライナ。そして、ウクライナの隣の国で、目立たないけど、もともとソ連を構成する国の一つだったモルドヴァの2国よりお届けします。
ウクライナは、ロシアによるウクライナ侵攻前の2022年の人口は4100万人、現在は戦争の犠牲者と、隣国への避難者を除いて、3200万人程度と言われています。実に戦争の影響で900万人がいなくなってしまいました。しかしながら、それでもヨーロッパではかなり人口の多い国の一つで、豊かな大地と、歴史ある文化を持っています。
もともと、ウクライナの首都キエフには中世の頃にはこの地域や、現在のベラルーシ、そしてモスクワなどロシアの一部も含むような「キーウ・ルーシ(キエフ大公国)」という巨大な連合国がありました。ここに住んでいた人々は東スラブ民族と言って、つまりはロシアもウクライナもベラルーシも、民族的には同一だったことを示します。ところが、欧州に攻め込んだモンゴル帝国に国土を奪われ、のちにオーストリア帝国、オスマン帝国、ポーランドなどの一部と、国土がバラバラになってしまいました。一方、18世紀ごろからロシア帝国という帝国がサンクトペテルブルグを首都として登場し、失われた東スラブ民族の大国の復権を宣言します。これがのちのソビエト連邦、そして現在のロシア連邦へとつながります。だから、キーウ(キエフ)という都市はウクライナのルーツであると同時に、ロシア人もまた、自分たちのルーツをキーウだと信じているのです。
そんな古都、キーウを中心としたウクライナ。現在は戦争で観光どころでもないですが、2019年(コロナの前年)には1400万人が観光で訪れ、もし戦争がなければウクライナは東欧最大級の観光大国になったのではないかと言われています。その魅力を、首都キーウ、西部の国際都市リヴィウ、そして黒海沿いのリゾート都市オデッサを中心に紹介しましょう。
まずは黒海リゾート、オデッサ。元々、海が極端に少なかったロシア帝国において、数少ない海沿いの自由貿易港として、19世紀初頭あたりから発展します。同時に、寒いロシア帝国の領土から見ると南の暖かい地域にあったため、リゾート地としても開発されます。こうして、お金持ちのロシア人、そして商人として活躍したユダヤ人、同じく黒海沿いにやってきたトルコ人商人、ギリシャ人商人、そして地元の、ウクライナ農民などが交わる国際都市となったのです。特にオデッサの魅力の一端として重要な役割を果たしたのがユダヤ人で、20世紀前半まで、オデッサの人口の3割ぐらいがユダヤ系だったといわれています。
こうして、どちらかと言えば田舎者だったロシアのなかでは、ローマやギリシャから黒海沿いにやってきた洗練した文化と交わり、とても優雅な街として知られていました。その、19世紀初頭の古き良き文化を今に引き継ぐ美しいオデッサ旧市街は、世界遺産に選ばれています(Googleの画像参考)。もともとウクライナは欧州各国から見ると物価が安いことで知られ、なおかつ欧州の他の場所より暖かいので、夏になると観光客が集まり、またクラブカルチャーなどが流入して、欧州中から若者が集まるパリピ都市になったわけですね。クラブカルチャーなどの軽いカルチャーと、19世紀初頭のロシア帝国の国際都市文化という重いカルチャーが合わさる、とても観光的価値のある都市だったのです、戦争さえなければ。
さらにリヴィウ。ここは現在では欧州側からウクライナに入国するジャーナリストやボランティアの拠点となる都市なのですが、小さなウィーンと呼ばれる古都でした。なぜならこの地は、ヨーロッパ寄りの立地のため、ポーランド、オーストリア、リトアニアなどさまざまな国に併合され、一方で一度も戦禍で破壊されなかったという歴史があります。だからこそ、この地には様々な国の様々な文化が残ったわけですね。建築様式を表すゴシック、ルネッサンス、バロック、ロココ、アールヌーヴォなどをあしらった建造物が見学できる、中世建築好きにはたまらない都市なのです!もちろん、カフェ文化も濃厚で、Lviv COFFEE MINE、Svit Kavy、Black Honeyなどおしゃれなカフェもたくさん(Google Mapで確認しましたが、これらのカフェは現在も営業中とのことでホッとしております)。ロンリープラネットでは、リヴィウは「東欧で最もロマンチックな街」なんて言われいます。ひょえー。
最後にキーウ(キエフ)。この都市も戦争前までは、物価の安さと環境の良さから、ノマド民が集まる都市として注目を集めていました。いわば、ヨーロッパにおけるチェンマイのような立ち位置の都市だったのです。特にドーム型のファサードが印象的な、聖ミハイル黄金ドーム修道院(下イラスト参考)など、東方正教会の建造物が多く見れます。
聖ミハイル黄金ドーム修道院(イメージ)
またキエフも、実はクラブカルチャーが盛り上がっていて、欧州最大規模と言われるベルリンのクラブコミュニティに匹敵する街になるかもしれないと言われていたのです(戦争前は)。なかでもCloserは世界的DJがやってきて東欧アンダーグラウンドの聖地と言われるクラブでした。いや、今でも営業中なのですが、さすがに国際的なDJはやってきません、他にもKeller、HVLVなど盛り上がってるクラブ、バーなどがキエフにはたくさんあります。希望は、ここで挙げたお店は、まだお店を営業続けてること。戦時下のクラブ。なかなかに刺激的ですよね。私は戦地に言って流れ弾に当たって死ぬより、戦地のクラブでゴージャスな衣装で不謹慎なほど踊り狂いたい気分です。
◇
最後にちらっとモルドバの話題を。モルドバと言えば、私にとってはO-zoneです。知らない? 知らない人も、この曲は知ってるはず。
Dragostea Din Tei (和訳:菩提樹の下の恋)という意外とおしゃれな名前が付けられたこの曲は、2003年に、ロシアの小国モルドヴァで生まれました。モルドヴァ人は実はルーマニア語を話すのですが、そこからまずはルーマニアで火が付きルーマニアチャートで1位に上り詰めます。時は2003年。急速にネット社会が仕上がるなかで、この一度聴いたら耳から離れないこの曲はネットを中心に拡散され出し、遠く離れたここ日本でも2ちゃんねるなどを中心に親しまれるようになります。その後は日本ではAvexによって再発。いわば、世界最古のネットミームとなった曲の一つと言っていいでしょう。このO-zone、実はモルドヴァのチームだって、よかったら覚えて帰ってください。歌詞は、恋をする男性が女性を口説く内容となっていて、曲中で何度も歌われる「マイアヒ」はいわばスキャットと言いますか、特に意味はありません。笑。以上、ウクライナとモルドヴァから、なるべく明るい話題をお伝えしました。ウクライナ、戦争が終わったら遊びに行きたいなあ。
楽園エリア4 バルト三国
小さな国に豊かな食文化と世界を席巻する企業
エストニア、ラトビア、リトアニア。3つ合わせてバルト三国。ですが、これほど「三国」が似合う場所は世界を探してもないと思います。他に3カ国で構成される地域的な固まりと言えば、ベネルクス三国(ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)なんかも有名ですが、ルクセンブルクはとても小さいし、微妙にパワーバランスが違うんですよね。バルト三国はほんと、仲良く三国って感じ。
この3カ国は本当に運命共同体という感じで、1991年8月20日、まったく同じタイミングでソ連からそれぞれ独立し、2004年にはそろってNATO、EUに加盟、2007年にシェンゲン条約に加盟と、まったく足並みをそろえて動いています。西に降りればドイツ、すぐ東にはロシアという大国に挟まれた立地で、つねに足場を救われてきた3カ国は、その後はどんなときも協調して狙われないようことを進めてきました。一方で、EUチームに入ったが故の悲劇と言いますか、若者がドイツや北欧など稼げる地域に移住してしまう、という問題があります。特にリトアニアは340万人いた人口が250万人に。30年間で25%の人間が消えた計算になります。いわば、ヨーロッパにおける東北地方みたいな状況でしょうか。
◇
そんなバルト三国、旅人の評価はまあまあで、街並みは綺麗だし、観光客が少ない地域ゆえに普段の感じで観光できます。ただ、ご飯に関しての評価はいまいちかもしれません。どうも、東欧のあたりって食事がいまいちなイメージがあるんですよね。そこで今日は、3カ国のなかでも比較的美味しいとされるラトビアの料理を紹介したいと思います! ラトビア料理と言えばまず思い出すのがSklandrausis(スクランドラウシス)(→ラトビア政府公式サイト)です。キャロットパイですね。うまそうでしょう? ライ麦でできた生地にペースト状のキャロットとポテトを詰めたシンプルなパイ。もうひとつ、Speķrauši(スペラウシ/ピラギとも)という、ベーコンと玉ねぎを詰めた三日月状のパン(→インスタで紹介しているページ)。Rasols(ラソルス)という、ほぼポテトサラダによく似た料理(→Google画像)などなど、美味しそうなシンプル料理がたくさん。バルトは飯がいまいちという評価を変えそうです。
もう一つ、ロシアやウクライナなど、東欧全般で食べられていますが、発祥はリトアニアと言われている、「冷たいボルシチ」こと、Šaltibarščiai(シャルティバルシチェイ)のことも、ぜひ紹介したい。このスープは見た目にインパクトがあります(→Google画像)。マジックの蛍光ピンク色と、ラベンダー色の中間ぐらいのなかなかトリッキーな色のスープ。私はリトアニアではないですが、モルドヴァでこのスープを飲みましたが、案外美味しい。ボルシチにも使われているビートの紫色に近い赤色と、ケフィアと呼ばれる白くて酸っぱい乳飲料(ヨーグルトに似ているというかほぼ同じと思ってもらってOK)を混ぜると、このショッキングピンクが完成します。
世界にはまだあなたの知らない料理があるんですよ!
Šaltibarščiai(シャルティバルシチェイ)
◇
バルト三国、もう一つの話題はエストニアから。エストニアは、ヨーロッパ、いやバルト三国の中でもとびきり小さな国で、人口わずか130万人、例のごとく日本で例えると、岩手県ぐらいの規模の小さな国。たぶん、これまで、あなたの人生にエストニアという国が関連したことはほぼないでしょう。でも待って、知らず知らずのうちに、あなたはエストニアに関わっています。特にエストニア人が作ったアプリやWebサービスに。
たとえばSkype(スカイプ)。今やLINEでもメッセンジャーでも、音声で通話できるのは当たり前の時代ですが、Skypeは音声通話に先駆けたサービスで、なんと2003年にはじめてサービスが提供されます。2003年より前は、海外の相手とは国際電話しかありませんでした。その後マイクロソフト社に買収されてマイクロソフトのサービスになるも、現在ではzoomやhangoutなどの動画共有サービスが主流となって、一世代前のサービスとなったSkypeは2024年にサービスを停止します。このサービス、実はエストニアのエンジニアが作ったサービスだって知ってましたか? 最先端テクノロジーに疎い人でも、スカイプは聞いたことあると思います。あれ、エストニアのサービス。
Skypeだけではありません。Bolt(ボルト)という一般的な配車アプリと、自転車などのライドシェアアプリが一体化したサービス(Apple Store、まだ日本ではサービス初めてない)。そして、Wise(ワイズ)という私も利用中の国際間送金サービス(オフィシャルサイト、すでに日本に進出中)もエストニアの発祥。人口わずか130万人、岩手県と同じ人口の国からこれだけ国際的に認知度の高いサービスが生まれてくるってすごくないですか?
前からエストニアがIT大国なのは知っていたのですが、これを機会にエストニアのIT立国について調べてみました。1991年、エストニアがソ連から独立した際、役所ができるも戸籍などの書類がない状態だったそうです。つまり、突然国家が成立したから、国民を管理する歴史も、資料を紙で保管する歴史もなかったわけです。そこで政府は、建国時からデジタル化を推し進めました。この判断が、のちのSkypeを産む土壌になったわけです。
Skypeが生まれる前の2000年には、オンライン政府「e-Goverment」が完成。世界に先駆け、役所の手続きの99%をWebで完結できるようにしました。いやー、聞いてますか、日本の役人の方々。どうやら日本はエストニアより30年ぐらい遅れてますよ! 2002年には、エストニア版マイナンバーカードが完成し、選挙の投票も2002年の段階でオンラインにしました。(いやー(以下略))。さらにSkypeの成功から、Skypeで成り上がった投資家たちが地元のエンジニアの起業に積極的な投資を行います。こうして、わずか人口130万人の国から、評価額10億ドル以上のユニコーン企業が10社以上も登場することになります。
ちなみに、エストニアでは、小学生から義務教育として全生徒にプログラミングの授業があるほか、EU域外の起業家にエストニアで会社を起業してもらうべく、電子居住権(e-Residency)という制度を作るなど、徹底的にオンラインにシフトした国家戦略を行い、他のラトビア、リトアニアが人口減少に傾く中、魅力的な企業の多いエストニアは人口をさほど減らさず踏みとどまっています。ちなみに、人口130万人のうち、11万人が何らかのテック企業で働いているというデータがあります。
ただ、逆に言えば、人口130万人の国だからこそできた意思決定のスピード感と言えるかもしれません。だから、日本もひょっとしたら都道府県単位ぐらいでアメリカの州のような立法権と自治を認めてしまえば、ひょっとしたら岩手県から世界的なスタートアップが出るかもしれません。
ただでさえ少子化で人口減少になびくなか、戦争も行われ若者と現役世帯が減ってしまう悲しい旧ソ連地域の、エストニアより、最後は経済的に明るい話題をお届けしました!
おわりに
助手「というわけで、本日はロシア、ウクライナなど、かつてソ連を構成していた国の特集を見てていただきました。いかがでしたか、船長?」
船長「『もし神が存在しないのなら、すべては許されている』byイワン」
助手「ドストエフスキーの名言じゃないですか。すっかハマりましたね」
船長「いいよねドスエフ」
助手「あんまりドスエフって略してるの聞いたことないですけどね」
船長「あと謎のピンク色のスープも気になったな」
助手「ああ、シャルティバルシチェイ」
船長「うんうん。シャルなんとか。なんつうか、ロシアって、名前が覚えづらいことで損してるよね」
助手「それはあるかもですね。シャルティバルシチェイって、何度聞いても覚えられません」
船長「ところで、ゼレンスキーって元コメディアンでさ、コントで大統領役やってたらほんとに大統領になったの知ってる?」
助手「え? それ知らなかった」
船長「だからあの人、芝居が上手いから、スピーチを聞くとみんな応援したくなっちゃうんだよね」
助手「現代において、応援したくなるってかなり重要な要素ですもんね。だからウクライナはロシアと互角にやってるのかも」
船長「つまりロシア=ウクライナ戦争ってさ、元スパイ(プーチン)と元俳優(ゼレンスキー)の戦いなんだよ」
助手「どっちも欺くのがうまそうですね」
船長「あーあ、早く戦争おわんないかな」
助手「まったくです」
(つづく)
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