楽園の地図 118号 新年の挨拶(旅と孤独が嫌いなあなたへ)
Meiji Shrine, Shibuya, Tokyo, Japan
親愛なる読者の皆様へ
新年あけましておめでとうございます。いかがお過ごしでしょうか。私は久々に、日本の東京で過ごしております。ちょうど自宅からそう遠くない距離だったので、先ほど明治神宮にお参りに行ってきました。
かつては新年になると毎年目標を作ったりして過ごしていました。あの頃のガッツはどこに行ったのか、いや今も闘志はあるんですが、年に1回という目標のペースと、時の流れが合わない気がしますね。今日目標を作ったところで、12月にはもう古くなっているように思います。だから、最近はもう、粛々と過ごすだけ。
でも、どちらかと言えば1人で過ごす年末年始を過ごすことが多い私にとって、年末年始というのは何かを深く考える時間です。あと、一人旅も、1人で考える時間がどうしても多くなりますよね。時々ふと、なぜ自分は成功できたのかと考えることがあるのですが、それはたくさん1人で過ごして、たくさん1人で考えたからじゃないかと思います。
日本人は極端に孤独を嫌う人種で、世界では少数派に属する(私が知る限り、他に韓国人と台湾人と中国人、あとイタリア人は1人が苦手)民族だと思いますが、まあ日本にいる限りは、カップルでいるときなどを除くとなるべく1人でいたいという私は少数派ということになるのでしょう。
以前、作家の藤谷治さんと下北沢在住時に仲良くさせていただいたことがあるのですが、藤谷さんがアメリカを旅した際に、アメリカには本当の意味での個人がある、1人があ。るというようなことを言っていたか、どこかで書いていたのですが(残念ながらネットで検索してもAIに聞いても出典がわかりません。が、世の中なんでもGoogleとChat GTPが解決してくれるわけではない好例です)、それを知った時、ああ、私はきっと、アメリカに生まれた方が生きやすかっただろうな、と思ったのです。
高校生の頃、学食で1人でご飯を食べていたら、「1人で食事をしてる友達のいないやつがいるぞ」と言われました。私はたまたま、その日、1人で食べたかっただけなのに。学生というのはまだ子供ですから、そして子供というのはたいていは容赦がないのでそういうことを平気で言うのですが(ああ、子供じゃなくて本当に良かった)、でもそれが日本人のメンタリティの根幹を示しているように思います。僕たちは1人を嫌い、孤独は孤立だと考え、SNSには仲間と楽しそうにやってる写真をアップするのがいい。なんか童謡で「♪友達100人できるかな」とかあるじゃないですか。ああやって、子供の頃から友達が多いこと=素晴らしいことと刷り込まれていくんでしょう。私が思うに、セーフティネットとしては友達が多いことは悪くないと思います。何か困った時に友達に頼れる瞬間は多いですからね。でもまあ、なんでも周囲に頼って生きていく人が大成するとは私は思いません。孤独の時間がない人間にいったいどんなクリエイティブなことができるのでしょうか。キルケゴール(『死に至る病』で有名な哲学者)も、「1人で考え、選び、責任を引き受けることが生の本質」だと説きました。
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私は1981年に生まれて、主に90年代後半ごろが青春でした。その頃、インターネットはADSL到来前で、ダイヤルアップだとかISDNとか、まあ世代じゃなければご存じないと思いますが、とにかくインターネットは選ばれた猛者がやるもので、文化の中心は雑誌やストリートでした。
私が片足を突っ込んでいる文筆業によるテキスト類、私がよく題材にしている映画や音楽、そして旅。それらはすべて、「1人でも楽しめるもの」を前提にしています。大げさに言えば、文化とはおひとり様の、集団の中にいてもなぜか理解者がいない気がする、恋人といてもなぜか相手は理解してくれない気がする、会社のなかにいてもなぜか私だけ浮いている気がする、飲み会に言っても楽しめない、デートに行っても楽しくない、家族なんて何もわかってくれない。そういうあなたのためにあるんじゃないかと思います。
たとえばジャニス・ジョプリン。彼女の歌声は、誰にもわかってもらえないあなたの声を代弁してくれるでしょう。
Me And Bobby McGee/Janis Joplin
ジャニスを流しながら続きを読んでください。DJみたいでいいなこれ。
多くのポップスが古くなるなか、1970年以降を知らない、60年代のジャニスがいまだ輝きを持っているのは、彼女が孤独を抱え、わかってもらえなさを歌い、普遍性にたどり着いたいたからだと思います。そこらの歌うまインフルエンサーが束になってかかっても、かないやしない。
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とにかく文化というものはそういうものだったわけですね。バイラルで集団からアルゴリズムで勝ち上がってくるものではなく、AIや検索やランキングという集団無意識と広告代理店の巧妙な戦略に選ばれたものではなく、あの人の文章を読みたい、あの雑誌が読みたい、あの映画をレンタルしようかな、そういう個と個の世界で戦ってきたし、その世界線を死守しないと文化は危ないと思います。
楽園の地図。私が考える楽園は、1人でそこに佇んでいても素敵な場所を指しています。1人でも楽しめるものを指しています。地図には、情報はあるけど、物語は直接は描かれてません。そこに物語を見出すのは、あなたしかいません。
メールマガジンは、ある意味で孤独なメディアです。バズることはなく、ただ淡々と、あなたのメールボックスに向けて毎週送り続けられるだけです。でも、だからこそ書けることもあります。毎週書いてると億劫になる日もあります。どうせこれが話題になることはないんだし。感想を送られても、私もはにかむしかない。だから、読んでいただいたらそれで終わり。それがいい。
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さて、2025年の、特に後半は、Chat GTPが大きく制作に関わった1年でした。便利な反面、これは危険な装置だと思いました。で、ここで本を一冊紹介させてください。
いやー、面白い本でしたね。まさにAIが取り扱ってるのは、「情報の集大成」のようなものですが、人類は「情報」をいかに取り扱ってきたかという歴史を解説したものです。未来を知るには、過去を学ぶことから。AI時代で世界はどう変わるの? と漠然と思っているかたは、今のところこの本がいちばん良書かもしれません。
でね、この本によると、人類は「情報」を「物語」として扱ってきたというのです。情報が小麦粉だとすれば、物語はパンだと私は思ってます。粉の状態では食えないけど、こねて焼けばおいしく食べられる。私は長らく情報を発信する側で働いてきたので、この、情報を物語化するやり方を多く学んできました。代表例をあげましょうか。「N経トレンディ」という雑誌でライターをやっていた頃、もちろんトレンド=流行を取り上げる雑誌なので、何が流行なのか、その兆しは何かを考えていたわけですね。ランダムにやってくる流行の中から、共通点を探して、「あ、これは⚪︎⚪︎の時代が来てるかもしれない」という仮説を立てて記事にするのです。本当はそうかもしれないし、そうでないかもしれない。ただ重要なのはそう読むことができるよね、というものです。たとえば「トランプ大統領と分断」がテーマであれば、世界中から「分断」を探すわけですね。それはたいていあります。どんなものでも探せばある。それが現代なのです。で、あれも分断、これも分断、どうやら分断の時代が来てますよ、トランプとアメリカ社会だけじゃなくて、世界ではあらゆる分断がすすんでますよ、とプレゼンテーションすれば、それは一つの記事になるわけです。これが物語。きっと逆のことだって集めようと思えば集まるので、いや今こそ最融合の時期だ、とも書けちゃうわけです。つまり、真実と思われる情報=小麦粉は、製作者の意図が入った記事=パンとなった段階で、本当の真実からは遠ざかる。
あるいは、ワイドショーなんかで犯罪を取り扱う際、犯人の人となりを探します。で、極端な趣味を持った漫画なんかが犯人の部屋から出てくる。それを報道すると人々は思うわけです。「ああ、こういう趣味を持った人間だからこそ、こんな犯罪を犯すんだね」と。これが物語化の最たる例です。逆だっていけるでしょう。「おばあちゃんを助けていた」なんて証言が出てきたら、そんないい人なのに人を殺めるなんて、二重人格のサイコパスだ、ということを匂わすことができるわけです。つまり、どうとだってできちゃう。これが報道というわけ。
そうやってあらゆる物語をでっち上げて、流せば、人々は簡単に信じます。たくさんの人が見れば、それはWEB時代には可視化され、たくさんの人が見ている=情報として価値がある、有用である、信頼できる、という錯覚が生まれます。ただたくさんの人に見られただけなのに。
この本の著者であるハラリの危機感は、そういう、今までは人力でやってきた物語化(パンこねこね)がAIにより自動化され、人々の制御が効かなくなる(無限にパンが生産され、そこに毒が混ざっていても誰も気づかない)と言いたいわけです。まあ、年末年始時間がある方、AIがどんな社会的影響を与えるのかを知りたい方は読んでみてくださいよ。
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いきなり言ってしまいますが、僕は占いが嫌いです。先日、ある友人が占いの話をしてきたので友達を辞めたくなってしまいました。でもまあ、占いもまた、文化ですよね。カルチャーとしての占いは嫌いじゃないんですよ。台湾人がお寺でポエをばら撒いている姿は微笑ましいし、私だって今日は明治神宮でおみくじを引いてきました。
じゃあ、私は占いの何が嫌いなのだろう、って考えました。そして、言語化できるようになった。私は、物事を自分で考えない人が嫌いなのです。占い師にそう言われたから、信頼できるあの人が言ってたから。自分の恋愛をどうするか、自分の人生をどう生きるべきか、この国はどうなるべきなのか。そういう大事な問いを外注する人、誰かの意見でやり過ごそうとする人が苦手なのです。
せっかく、生物史上最も有能な脳みそを神から受け取った人類が、自分で考えるのをやめて人に委ねるなんて、バカな話だとは思いませんか? 今日は脈略のないことをつらつら書いてきてるように見えて、ここで前半の話と合致します。1人で考えること、1人で人生を選ぶこと、誰かに頼らず、自分の脳みそで結論を出すこと。それが今年も、来年も、そして死ぬまでの私の目標です。AI時代は、人々から考える時間をさらに奪うことでしょう。でも、楽園の地図はそうはさせません。何かを考えさせる、そういう内容を今後も生んでいきたいと思います。それはどんどん時代の主流からは離れていくでしょう。テキストはますます、共感させるもの、雑なスクロールでも理解できるもの、頭を使わなくて済むもの、内容よりも誰が書いているかが重要な、そんな時代にますますなるでしょう。永遠にインスタ動画とネットニュースとXの140字で終わらせたければそれは楽な人生かもしれません。それ以上難しいことがきたらAIに決めてもらういましょう。余った時間にあなたはAIを開いて「ねえ、暇なんだけど何をしたらいい?」と問いかけている。脳を使え。脳を使え。誰もが考えることをやめたとき、誰かが国民を過激なほうに煽動させたとして(すでにその兆しありますよね)、そいつらが優秀なAIが作った非の打ちどころのない理論で迫ってきたとき、いったい誰が止められるのでしょうか。第二次世界大戦のときに、日本人すべてが戦争に加担したのは、そして負けて負傷者がたくさん出ても誰も止められなかったのは、みんなが考えるのをやめて、疑わずに、あるいは薄々わかっていても目をつぶって、右に習えをしてしまったからでしょう。
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あらゆるものはわかりやすく編集されパンのように食べやすくなり、たっぷり砂糖と油をまぶしてスクロールしながらでも結論が得られるようになり、そして人々は情報の、物語の言いなりになる。そんな時代を、心から疎ましく思っているし、時代がそうなればなるほど、私はそんな時代に唾を吐いて、バックパックにラップトップと着替えを積んで1人で旅に出るでしょう。旅のBGMはジャニス・ジョプリン。つまり、私もあなたも、今年もどうやら旅日和です。
今年もどうぞよろしくお願いします。
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