楽園の地図71号 沖縄の「タイポップDJ」817さん(前編)

台北カウントダウン/タイポップ/沖縄/DJ論
船長と助手 2025.01.03
誰でも
Taipei New Year Festical, Taipei, Taiwan

Taipei New Year Festical, Taipei, Taiwan

もくじ

はじめに 〜あけましておめでとうございます〜
今週のスペシャルゲスト 817さん(タイポップDJ)
 〜猿岩石、ドリカムからソウル・フラワー・モノノケ・サミットへ。(音楽の目覚め)
 〜音楽好きの817さんがDJになるまで
 〜817さんのタイとの出会い。レストランでDJデビュー
 〜DJプレイの極意 テクニック/アーカイブ/年輪
今週のオアシス 三來 素食館(西門/台北/台湾)
おわりに

はじめに

あけましておめでとうございます(日)。Happy New Year(米)!新年快樂(シンニェン・クワイルー)(中)!サワディ・ピンマイ(泰)!

今号が今年最初の更新です。皆様、いかがお過ごしでしょうか。私は年末年始は台北にいました。ニューイヤーフェスティバルが行われるとのことで、お祭り付きの奥さんに連れられて台北へ。私はお祭りよりも平場の(平常時の)街が好きなので少し面食らいましたが、たまには人にまみれるのも悪くないと思いました。

台北のフェスティバルは5、6時間ぶっ通しでフリーコンサートが行われるのですが、宇宙人Yellowなど、センスのいいミュージシャンがいっぱい出てきて楽しかったです。そう言えばかつてオーストラリアのメルボルンでも年越ししたことがありましたが、その時もフリーコンサートで名前を知ってるレベルのバンドが出てきたし、夏のニューヨークでもフリーコンサートでそこそこなクラスのミュージシャンが出てきて面食らいました。日本だとあんまりフリーライブで若者が熱狂するタイプの名のしれた人が来る機会がないイメージがあるのですが(あるいは若者ではなく老人向けの歌手が多い)、海外はいいですね。年越しは海外に限ります(宿は高いけど)。

2025年。21世紀も4分の1が終わろうとしてるんですね。今年は台北101の花火のように、よりアグレッシブにいこうと決心しました。

さて、今号は、今年一発目に相応しい、素晴らしいゲスト迎えました。モーラム、ルーク・トゥンと呼ばれるタイの民謡音楽から、タイポップスまでをDJとしてプレイする沖縄在住の「タイポップDJ」817さんをお招きして、ぬかるみのようなタイ音楽の世界と、ご自身のルーツである沖縄音楽への思い、という2つのテーマのダブルA面(死語)で話を伺いました。

今週のスペシャルゲスト タイポップDJ 817さん

バンコク最大の週末市場、「チャトゥチャック・ウィークエンドマーケット」を物色中の817さん(写真中央)

バンコク最大の週末市場、「チャトゥチャック・ウィークエンドマーケット」を物色中の817さん(写真中央)

817さんプロフィール

1984年生まれ。沖縄生まれ東京育ち。沖縄、バンコク、東京などでDJプレイする。毎年「りんご音楽祭」などでDJプレイするなど大活躍中。日本で数少ないタイポップ(タイのポップスと、モーラム、ルクートゥンなどのタイ民謡)DJ。

猿岩石、ドリカムからソウル・フラワー・モノノケ・サミットへ。(音楽の目覚め)

楽 そもそもなんで817って名前なんですか?

8 8月17日生まれたからです。17か18歳の時にそのあだ名にして。めっちゃいいじゃんって思って。

楽 何年生まれですか?

8 1984年です。40歳。

 ほぼ同世代ですね

 沖縄生まれ東京育ちです。両親が東京に上京してたんですが、里帰りで出産したので、生まれだけ沖縄なんです。

 じゃあ、ほとんど東京で育ったんですか?

 世田谷、調布のあたりです。中学の頃から音楽がすごく好きになって。

 音楽を聴きだす最初のきっかけは何だったんですか?

8 うぉーって興奮して、記憶に残ってるのは、ソウル・フラワー・モノノケ・サミット(※1)っていうバンド。

(※1)Jインディ界の大御所バンド、ソウル・フラワー・ユニオンの変名バンド。ソウル・フラワー・ユニオンは1993年結成。日本列島近郊の民謡と、世界のワールドミュージックと、ロックを三位一体にしたようなバンド。ソウル・フラワー・モノノケ・サミットは「ちんどん屋」のリズムを取り入れた音楽。

 ああ、懐かしい。わかりますよ。

 阪神淡路大震災後のツアーが終わって、ひと段落した時のアルバムがめっちゃ良くて。 わーっと思って。

 え、それがいきなり音楽の初体験ですか??

 もちろん普通にドリカムとかも聴いてたんですけど。

 オリコンのヒットチャートで流れるようなのも聴いてたわけですね。

 そうそうそうそう。『白い雲のように/猿岩石』が最初に買ったCDだし。」

 僕は『GEISHA GIRLS』です。」

 おお! ちょっと渋い。テイトウワや坂本龍一が制作に入ってて、話がややこしい(笑)。

 中1の頃は坂本龍一もテイトウワもよくわかってなくて、ただダウンタウンが好きだったから。 あれ、今思うと伝説の曲ですよね。『Kick & Load』。でも短冊型のCDシングル、引越しとかどっかのタイミングで売っちゃったんですよ。持っとけばよかったな。

 俺の中学は、BLANKY JET CITY(※2)とか、THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(※2)とか。

(※2)2組とも、90年代中頃から2000年代初頭ぐらいまでとても人気があったバンド。ジャンルとしてはガレージロック、オルタナティブロックだが、その枠に囚われない人気がありました。中心人物の浅井健一(BLANKY〜)はその後SHERBETS、AJICOなどを結成。チバユウスケ(MICHELLE〜)はその後、ROSSO、THE BIRTHDAYなどを結成。2023年没。

 そういう世代ですよね。僕もめちゃくちゃ聴いてました。

 ブランキーのラストライブは間に合ったんですよ。 高1だったかな。で、そのまま音楽〜〜ってなって。フジロックに1人で行って。

楽 じゃあフジロックの最初の頃ですよね。

 苗場で3回目の開催だったかな(※3)。2001年。ヘッドライナーはオアシス、エミネムとか。そこでV∞REDOMS(ボアダムス)(※4)と出会って。もうトリップしちゃって。

(※3)日本最大のロックフェス、フジロックは、3年目以降は現在の開催地である苗場だが、1年目は富士山のふもと、2年目は東京開催だった。

(※4)ボアダムス=BOREDOMS/V∞REDOMS。やはりJインディの重鎮にして、世界的にも有名なオルタナティブロック、ノイズミュージック。中心人物、山塚アイはさまざまな変名、別バンドを組んでいる。メンバー、元メンバーもそれぞれ別の活動をしていて、ボアダムス一派とでも形容するべき一つのジャンルを形成している。

 普段とちょっと違う音楽の聴き方を覚えたわけですね。

 そうそう。 で、こういうの何? みたいになったら、当時は調布市仙川ってとこいたんですけど、 そこに渋さ知らズ(※5)のメンバーがいっぱい住んでて。その人たちと関わりがあるカフェみたいなところに出入りしてた時に、その辺の兄ちゃん達が色々音楽のことを教えてくれて。当時、俺と同学年で、その喫茶店の隣の高校にcero(※6)のメンバーがいたし。ceroは同じイベントで一緒だったこともあるんですけどすれ違ったりしてて、4年ぐらい前に再会しました。

(※5)渋さ知らズ=東京の吉祥寺あたりを本拠地にした、ジャズ・ミクスチャー・バンドとでも形容すべき音楽で人気のインディーズバンド。スカパラと並んでホーン隊の多いビッグバンドの代表格というイメージです。

(※6)cero=10年代初頭あたりから人気の日本のバンド。2004年結成。東京の阿佐ヶ谷あたりが本拠地。特にフェスで人気のイメージ。所属レーベルはカクバリズムで、カクバリズムといえば今は国民的シンガーになった星野源がSAKEROCKのメンバーとして所属していたインディーズの名門事務所。

 当時はceroってまだデビュー前ですか。めちゃくちゃいい環境ですね。コツコツ1人で音楽を掘っていた/いる僕とは雲泥の差で羨ましいです。

listen! 渋さ知らズ

音楽好きの817さんがDJになるまで

 ここまでの話は、音楽リスナーとしてですよね?

 そうですね。でも、高校の時もバンドやってましたよ。

 どんなバンドですか?

 スカコアっすね。

 世代ですね。

 世代です。で、Daft Punk(ダフト・パンク)One More Time(※7)が2000年に出たんで、周りの音楽好きな人は一気に「4つ打ち」(※8)に行ったんです。俺も「4つ打ち」、クラブ系の音楽に行って。

(※7)この章の最後に。

(※8)「4つ打ち」。1小節に4回「どんどんどんどん」と一定のリズムで打つことが語源ですが、そんな難しい理解しなくてもエレクトロ、ハウス、テクノを聴いてればこれが4つ打ちってすぐに理解できます。連続した低い音が鳴ってたらそれが4つ打ちです。人間はなぜかこういうリズムの音を聴くと興奮するようにできてるようです。もちろん私も。

 スカコアから一気にクラブ系へ(笑)

 はい。私は長男だったので、沖縄に戻って「親戚行事やって」と言われていて、大学の時に琉球大学で沖縄に戻ってきた。で、『G-shelter』っていう箱(ライブハウス、クラブ、撮影スタジオなどを兼ねた沖縄の「箱」)がちょうど立ち上げのタイミングで。当時は、琉球大学の映画研究会、写真部、アートクラブ。このサークル三つの先輩たちが共同で出資して、国道330号線のバイク屋の地下の部屋を借りていて。そのあと経営者が変わったりしたタイミングで、そこじゃあ俺もスタッフとして入るって言って入って。19歳の時。そこでは、ロカビリーのパーティーがすごい盛んで。宮古島の先輩たちもいて。で、俺もDJやるって言って、4つ打ちの音楽とか、そこで勉強したロックとかスカを、多分10年くらいやってました。

 結構長期でやりましたね。

 バーカウンターやったり、PA(音響)やったり。その中でライブの転換時間のBGMやったり、自分でパーティやったり、DJとして呼ばれたり。20代はそんな感じですよ。

 あ、ちょっと待ってください。そもそも、バンドをやるのか、自分で演奏するか、DJをするかっていう分岐点があったと思うんですが、DJに行ったのは何か理由はあるんですか? 

 沖縄でもバンドやってたんですけど、1年ぐらいやって、全然うまくいかなくて。人集めとか、 やりたいこととかできなかった。DJは合意形成がいらないから。あとは、『G-shelter』のスタッフだったんで、 オーガナイザー側(イベントを企画したり主催したりする側)になっていった感じですね。

 なるほど。

listen! ダフト・パンク

817さんのタイとの出会い。レストランでDJデビュー。

 ここまで特にタイ音楽は出てきてないですけど、タイ音楽との出会いはどこだったんですか?

 最初のタイとの出会いで言えば、10歳の頃に家族旅行でタイに行ったことがあって。旅行というか、親父が中野で『エイサーシンカ』っていうエイサー(※9)団体を作ってた人で。エイサーの交流会をチェンマイでやることになって。普段、東京の中野で集まってる団体が、チェンマイのカレン族(※10)の人とパーティをしようとなって。どうやってそうなったのか謎なんですけどね。

(※9)エイサー。沖縄の伝統的なダンス。阿波踊りとかと一緒で、沖縄地域に根付く伝統的な芸能。

(※10)タイ、ミャンマー北部の山間部で暮らす少数民族。

 10歳だと事情はわからないですよね。

 『エイサーシンカ』の仲間たち、 兄さんたち姉さんたちとガーッて30人ぐらいでチェンマイに行って、 2日間ぶっ通しのパーティーやって。

 レイブっぽいですね。

 めちゃくちゃカルチャーショックを受けました。両親から与えられた経験ですよね。で、大学生当時はそれこそ猿岩石以降で、バックパッカーブームでした。当時、mixiに大学生が夏休み、バックパッカー風の旅行をして、mixiにうっとりした日記を書くみたいなムーブがあって(笑)。

 mixi日記全盛期(笑)。

 で、大学生をやりながらDJも初めて2年くらいして、琉球大学の姉妹提携校で、タイのチュラロンコン大学に安く留学できることが分かりました。「16万で行ける!」と思って、「行く行く」って。卒論のテーマを安宿研究にしたんで、ちょうどタイは安宿いっぱいあるし、日本人宿もいっぱいあるし、『外こもり』(※11)っていうのもすごい関心があったので。よし、じゃあそのフィールドワークってことにして留学しようって。で、チュラロンコン大学に行って。

(※11)外こもり。すごく簡単に言えば、日本で仕事をしてお金を貯めて、物価の安い国に行って(外)、あまり外部と接触せず暮らす(こもり)ことを指す。今思うと、日本円がとても強い時代だから成立した文化かもしれません。。

 チュラロコン大学ってどのへんですか?

 サイアム(バンコクの都心部)。サイアムセンターの真裏です。

 なんか思い出してきましたけど、タイの最高学府じゃないですか?

 そう、国立の、タイの最高学府。学部によっては最高学府。当時お金がなかったので、タイで貧乏やってました。2005、6年当時のタイで貧乏って相当やばい(笑)。で、バイトをしようと思って。当時はすでに日本人が、5、6万人住んでいて。一応俺は国立の、琉球大学に留学中だから、家庭教師のバイトがあると思って、いろいろ探ったら、慶應とかMARCHの人がめちゃくちゃいて。俺はおよびじゃないってことがわかり(笑)。で、たまたま友達と一緒に行った超イケてるレストランに行ったら、フィッシュマンズがかかったんですよ、 BGMで。

 それ2005、6年? 相当早いですね。

 早いっす早いっす。その店は、ニューヨーク帰りのタイ人が作った店だったんですよ 。フィッシュマンズがかかって、「おーっ」と思って。お店の名前も「プラディブ(ปลาดิบ)」、生魚っていう意味。 タイでは珍しく生魚、刺身を出すお店でした。

 そのお店はまだあるんですか?

 去年畳んで。今はカオマンガイ屋さんになりました。

 残念。場所はどの辺ですか?

 アーリ(Ari)っていうところで。

 北の方ですね。チャトチャックマーケットの手前。

 そうそう。アーリーの街があんなおしゃれタウンになった発信源の店でした。で、そのレストランで木曜日のレギュラーDJをやらせてもらえることになって。フィッシュマンズ周辺の音楽のCDいっぱい持っていきました。

 渋谷系っぽい感じですか?

 渋谷系と、もうちょっと レイドバック(のんびり、ゆったりの意味)した感じのやつ。ハナレグミとか、UAとか、ミュートビート(※12)とか。

(※12)日本屈指のダブ(という音楽ジャンル)バンド、1982年結成。こだま和文、屋敷豪太、朝本浩文、Dub Master Xなど、のちにものすごいことになるミュージシャン、エンジニアを多数輩出したという意味で、ダブ界のはっぴいえんどと言えるかも。

楽 ダブとかレゲエとか。

8 そうそう。Jインディ(日本のインディーズ)とか。くるりとかも普通にかけてた。

 それ、お客さんの反応どうでした?

 ラジオ局のディレクターが家に招いてくれたりして。 今から考えると、若手なのにカウントダウンDJ任してもらったりとか、いい扱いでした。

 へえ。 珍しかったんですかね。

 当時は認識してなかったですけど 、タイ人向けにそういうことやってる日本人DJはいなかったようです。

 バンコクでクラブとか行っても、ツーリスト向けって感じのところが多いですよね。

 それか、 まじローカルイベントか。

 そういうところはなかなか観光客はアクセスできないし。別れてる感じですよね。

 ただ、フュージョンレストランで DJがいるっていうだけで 、かなりオシャレな店でした。バンコクだと、パブにいけば生演奏バンドいくらでもいるし。たしか『プラディップ』も生演奏の日も あったはずだけど、それもジャズとかブルースのデュオ。客単2000バーツとか2500バーツの店なんで。

 あ、高いですね。

 かなり高い。俺が客だったら行けないレベル 。でもスタッフだから、俺用のまかない飯とかも最高だったです

 楽しい成功体験だな。羨ましいです。

listen! ミュートビート。

DJプレイの極意 テクニック/アーカイブ/年輪

 では、817さんが突然タイ音楽、タイポップスに夢中になったきっかけはなんだったんですか?

 留学DJ時に、タイのCDは面白くて買ったけど、そのときはあんまり感じなかった。RCA(バンコクのクラブ街)とか遊びに行って飲んだ帰りにタクシーに乗ると、ドライバーが変な音楽がかけてて。ぽこぽこいってる音楽が。 RCAでテクノとか聴いてた帰りだったから、お、アシッドハウスかなと思って耳を澄ませたらタイの民謡だった、みたいな変な感覚があって。タイのCD買ってはいたんだけど、別に聴いてなくて。

 ピンときてなかった。

 ピンときてない。で、沖縄戻ってDJやってたんですけど、なんか飽きてきて。

 沖縄ではどんな音楽をかけてたんですか?

 ロックとかスカとか。テクノやハウスもちょいちょいって感じだったんですけど、別にコンセプト、テーマは特になくって感じで。たまに、年に2回ぐらい超DJプレイがお客さんにハマる時があって、瞬間的にフロアにいる2〜30人がわーってなる瞬間みたいなのを掴むことができるんだけど、2曲ぐらいでその波が終わるんですよ。俺のアーカイブとテクニックだと 一緒にやってるDJは、その波が 2〜30分続く。俺はDJプレイの概念として「握力」って思ってたんですよ。握力の強いDJは盛り下がる曲とか、ビートがオフになってる瞬間も握力があるから16小節32小節ぐらい持つんです。  なんかフロアをグリップしてる(掴んでる)んですよ。盛り上がれる波を作れるから、下(チル)に対する波も作れるんで、 高低差がすごいあるDJだなって思ってて。俺は一切できないなってDJとしての課題もぼんやりあって。

 それって何の差ですかね。

 まだ分からないですけど、 ドミューンの宇川直宏さん(※13)のDJの定義で「テクニック」「アーカイブ」「年輪」って言うんですけど。いいDJは、これのどれかが良いんだと思います。

(※13)現在は、東京・渋谷PARCOで「ドミューン」というクラブ、ライブストリーミングスタジオを運営する。現代美術家や映像作家、VJ(ヴィデオジョッキー)としての側面もあり、そういう側面から他にはないユニークなテーマでクラブを運営している。日本で最も早くライブストリーミングでイベントを打った人かもしれない。

 アーカイブがいちばんわかりやすいですね。要は知識量、音源のストックが大切だと。

 そう。で、テクニックはその掛け方。フロアの雰囲気を見て、瞬間にこれをかけて、前の曲からどう繋いでいくか。EQのコントロール、あとスクラッチ(※14)をするならその技術。

(※14)♪チュクチュク

 なるほど。それもまあ、わかります。最後が年輪ですか。これよくわからない概念ですね。

 俺が感じたのは、ECD(※15)さんがね、最後ガンになっちゃって痩せてガリガリになって、「ドミューン」でDJプレイしてたんですよ。別に繋ぐわけでもなく、単に選曲してただけだったんですけど、プリンセスプリンセスの『ダイヤモンド』をかけてて、で、嬉しそうに見てるんですよ。その時にめちゃくちゃグッときて。それはテクニックでもアーカイブでもなく、もうECDのストーリーでしかない。

(※15)日本のラッパー。DJ。日本のHip Hopにおける伝説のイベント、「さんぴんキャンプ」の主催。代表曲は「東京っていい街だなぁ」(後述)。故人。

 なるほど。演奏やヴォーカルが身体性というか、スキルを超えた人間力があるのはわかるんですけど、DJもそういうのがあるんですね。

 ありますあります。あとはお客さんもナラティブ(物語)を読み取るんで。ECDさんのDJでぶち上がる感じが俺の「年輪」の理解。

 じゃあなんかもう、超えられない名人芸みたいな。

 そうそう。 だからアウラ(オーラ)に近いような。

 ちょっとわかってきました。だから、同じ曲をかけても多分盛り上がり方は違う。

 受け止め方が違う。

 それはもう真似しようがないというか、どうしようもないですね。

 どうしようもない。ただ、そこがあるっていうのを認めるのはめっちゃ面白いと思って。テクニックでもアーカイブでもない要素があるってだけで、褒める要素が増えるじゃないですか。DJに対して。

 私はこれまで、DJをそういう見方をしたことがなかったです。なるほど新しい視点が増えました。

 だからDJ論で言うと、俺はその説と、あとミスター・スクラフ(Mr. Scruff)(※16)っていうイギリスのハウスDJの、その人も50歳超えた人が「DJの三大要素」って言って、1.「いい曲を」2.「正しい順番で」3.「お客さんをよく見てかける」っていうのがDJの三大要素っていってて。それもめっちゃいいと思ってて、その2つの指標だけ参考にしようと思っています。

(※16)ミスター・スクラフ(Mr. Scruff)。イギリス・マンチェスターのクラブから世界的に有名になったDJ。オフィシャルサイト

 なるほど勉強になります。817さんはどのくらいのペースでDJをやってるんですか?

 2024年で、30本やってます。年間30本は今までで一番多い。月2〜3回くらい。

 今日は良かったなっていう日と、 真ん中くらいの日と、ダメな日があるんですか?

 そうですね。今は「ダメだった」はそんななくて。ただ、先月は20時に現場に入って、出番が翌2時半だったんですが、飲みすぎて本番何やったか全然覚えてない(笑)。これは超反省してます。

 まあでも、そんな失敗は少なくなってきて。

  いや、トントン(笑)。

 良い時と悪い時がトントン?(笑)。

 フラットに考えて、もちろんちゃんとやるのがいいんですけど。ただ、前に気合い入れてめちゃくちゃ準備した人が、トリの出番で酔いつぶれてたんですよ。それ見て「かっけぇ」と思って(笑)。 音楽要素的にはゼロですけど、誰も責めないし、拍手するしかないみたいな。無音だけど「じゃあ誰か代わりにやって」みたいな。そういうことを「かっけぇ」と思うので。そのフロアに関しては、迷惑をかける人がいなかったので。で、俺がその酔ってて覚えてなかったやつも、後から聞いたら、一応ちゃんとやっていたみたいで。 ただ、新しい刺激を与えられたかどうかを自分で精査できないのは反省って感じです。

 なるほど。DJは、職業、役割としてなんかちょっと興味あります。 勉強してやってみようかなって。 歳とっても大丈夫?(笑)

 てか歳とらないとさっきの話で言う「年輪」が出てこないからね。って考えると、年輪という指標を採用すると、間口が超広がるんですよ。 

 確かに「アーカイブ」も年齢が高くて音楽試聴体験が長い方が有利ですもんね。今の話を聞くと、817さんは割と全方位的に音楽が大好きな感じですよね。逆に嫌いなものとか、これはちょっと……というものがありますか?  私はクラシックとヘビメタがダメなんですけど。

 それがあれですね。 今日話したかったテーマの一つなんですけど。。

listen! ECD。

さて、817さんの半生から、DJ論。そしていきなりの話題の「転調」で「今日話したかったテーマ」へ。次回は、タイポップと沖縄ポップの文化的な相似性、自分の音楽に対する思いへ踏み込みます。予告しときますけど来週はよりディープ。ようこそタイ音楽沼の世界へ。

(続く)

今週のオアシス 三來 素食館(西門/台北/台湾)

台湾、香港、あるいは中国で、「素食」「健康素食」と書かれた看板があればそれはベジタリアンレストランです

台湾、香港、あるいは中国で、「素食」「健康素食」と書かれた看板があればそれはベジタリアンレストランです

旅の最中はついつい暴飲暴食をしたり、食べ過ぎたりしちゃいますよね。現在私は台湾を旅していますが、台湾も深夜まで夜市がやっていたりしてついつい身体に悪いものを食べてしまいがちです。

そこで私がよく訪れるのが「素食」と漢字で書かれレストランで、台湾では大きな通りに一つはあるぐらいメジャーなタイプのレストランで、これは肉や魚を食べないで、いわゆるベジタリアン向けのレストランです。信心深い台湾では、仏教的な観点からベジタリアンになっている人も多く、ベジタリアンレストランの量は世界一かもしれません。私の知り合いのイギリス人(ベジタリアン)も、ベジタリアンフードの多さに惹かれ沖縄から台湾に移住しました。

特に台湾の「素食」店の優れているところは、たくさんあるおかずから自由に自分で好きなものを好きなだけとって構わないというスタイルにあります。たいていは最後に量り売りとなるか、選んだおかずの品数で決まったりとか、いろいろあるんですがどれもとても安価でうまいです。こんな感じ。

たくさんあるおかずから自由に選べる

たくさんあるおかずから自由に選べる

こうして私は旅中の野菜不足を解消してます。この日なんてほら、私はこんな感じですよ。

野菜たっぷり

野菜たっぷり

私は2〜3週間ぐらいじっくり一つの国に滞在する旅が好きなので、こうやって身体を労る日を作るととても調子がいいんです。

私がよく食事でベジタリアンレストランを利用すると、あなたはベジタリアンなんですか? と聞かれることもあるのですがそうではありません。ただ、週に2、3食、別に肉も魚も食べなくてもいいやって思う日が私にはありまして、カレーが食べたい日、ラーメンが食べたい日と同様に、ベジタリアンが食べたい日だと思って利用しています。通常、ベジタリアンのお店は日本にもたくさんありますが、単価が高いことが多く、その点台湾はとてもいいなと思ってます。

ちなみに、屋台や夜市では「滷味」(ルーウェイ、和訳すると「煮物」でしょうか?)という料理があって、これは特にベジタリアンは関係ありませんが、好きな食材を選べて(肉、練り物、麺類のほか、ブロッコリーや葉物野菜が食べられるところも多い)、これも使い勝手のいい、ヘルシーな料理です。強くない胃腸を持つ私にとってこういうレストランや屋台こそオアシス。というわけで、おすすめのお店「三來 素食館」は台北の繁華街「西門」駅、あるいは鉄道ターミナル「台北」駅どちらからも歩ける距離で、立地的にも味的にも申し分ないです。ぜひご賞味あれ。特に長期滞在者、あるいは40代以上の読者におすすめです。

おわりに

助手「あけおめです〜」
船長「あけおめだな」
助手「そのー、船長は一応はこの船の長なわけですよね」
船長「なんだそのもったいぶった言い方は」
助手「長から平の僕にですね、正月といえばほら、袋に入った・・・」
船長「袋?」
助手「ポチ袋に入った・・・一般的に正月に高所得者から低所得者に対して振る舞われる現金等が入った・・・」
船長「お年玉? さっさと言えよ。むしろ渡しづらいだろ。なんだ低所得とか高所得とか」
助手「そうそう、それをください、低所得かつ相対的貧困の中にいる僕に」
船長「へりくだってるのか文句が言いたいのかよくわからないよ。俺だってそんなにないんだぜ。ま、いいか。助手くんには普段お世話になってるからな」
助手「わかればいいんですよ」
船長「はいこれ」
助手「あ、あれ? なんだこれは」
船長「アブハジアの通貨、アプサラと、沿ドストニエル共和国の通貨、沿ドストニエル・ルーブルだよ」
助手「なんでそんな情勢が微妙な国の通貨ばっかりなんですか!」
船長「ウガンダのシリングに、モンゴルのトゥグルグもあるよ」
助手「なんで船で行けない国ばっかりなんですか!」

(つづく)

無料で「楽園の地図」をメールでお届けします。コンテンツを見逃さず、読者限定記事も受け取れます。

すでに登録済みの方は こちら

誰でも
楽園の地図72号 沖縄のタイポップDJ、817さん(後編)
読者限定
楽園の地図第70号 ハンブルクの「ミニチュア・ワンダーランド」
読者限定
楽園の地図69号 ガールズムービーの女王、ソフィア・コッポラについて語...
読者限定
楽園の地図68号 神田桂一さんと日本のお笑い話
読者限定
楽園の地図67号 シンガポール、かき氷屋の娘の話
読者限定
楽園の地図66号 連載中の「C-POPの歴史」振り返りスペシャル!
読者限定
楽園の地図65号 移住地として人気の福岡の魅力を考える
読者限定
楽園の地図64号 韓国の地方都市、大邱(テグ)、慶州(キョンジュ)の魅...