楽園の地図98号 私とタイ/私のタイ(カオサン通り AI Remix)

カオサン/FUTON/ナタウット・プーンピリア/バロウズ
船長と助手 2025.07.11
誰でも
<a href="https://maps.app.goo.gl/vG5wLNT84xBeb3J19" target="_blank">Noc Record Shop</a>, Bangkok, Thailand

Noc Record Shop, Bangkok, Thailand

もくじ

はじめに
HOOK/カオサン通りの現状
私とタイ1/19歳。居酒屋バイトと甘いソース
私とタイ2/29歳。深夜の外食。エスニック。
私とタイ3/アジアンブリーズ三宿店
私とタイ4/洪水(2011)、テロ(2014)。
私とタイ5/音楽:FUTON(2011)
HOOK/カオサン通りの現状rap
私とタイ6/最初のタイと涅槃寺(2017)
私とタイ7/映画:バッド・ジーニアス(2017)
私とタイ8/コンドミニアム取材とチェンマイ(2018)
HOOK/カオサン通りの現状カットアップ
私とタイ9/音楽:Lover Boy/PHUM VIPHURIT(2018)
私とタイ10/カオサン通りでアレックスと出会う(2019)
HOOK/カオサン通りの歴史とカットアップ
私とタイ11/私とタイとコロナ。(2020〜2021)
アウトロ/私とタイとコロナ禍とカットアップ
おわりに

はじめに

カンボジア国境の紛争と日本の参院選

まだのんびりとバンコクにいます。のんびりバンコクにいると書くとなかなか気ままなものだと思われるかも知れませんが、これが意外と毎日忙しく、今日は以前タイを襲った地震の影響なのか所有しているコンドミニアムに亀裂が入っていて、その点検と修理に来てくれる業者を待ちながらバンコクを観光しています。

ところで日本でも報道されていると思いますが、現在、タイとカンボジアの国境地帯で軍事衝突が起きています。

以前からタイとカンボジアの間では国境線をめぐる紛争が起きています。元々タイとカンボジアの間は小競り合いが多かったのですが、19世紀にフランスがカンボジアを植民地した際に両国の間で国境が策定されました。その際、分水嶺にしたがって国境が策定されましたが、一部地域では地図上の国境と、実際の分水嶺が一致しない状況が生まれました。その代表的な場所が、現在国際法上はカンボジア領内となっているダンレック山地のプレアヴィヒアという小さな寺院です。2008年に、もともと係争のあったこの土地をカンボジアが世界遺産に登録しようとしたところ、タイ側からの反発が起き、その後もお互いの国が国境を超えた兵士を殺害する事態に発展しました。ただ、私はバンコクにいますが、はっきりいえば誰もこのことについて話題にしていません。タイとカンボジアの国境紛争は以前から起こっており、慣れっこといったところでしょう。両国の関係は深く、基本的には事なかれ主義のタイと、現在経済的に伸び盛りのカンボジアが争うとは思いません。むしろこの国境紛争をきっかけにタイ現行の政府に対する不満を高めて政府を打倒しようとしている勢力の存在が透けて見えます(BBC報道)。

そういや、日本は参院選の話題で持ちきりですね。タイは、アジアは、日本はどこに向かうのか。皆様の未来を示す道標でありたい楽園の地図、今号は3年ぶりに訪れたカオサン通りの印象がある意味強烈だったので、そのことについて。

HOOK/カオサン通りの現況

あまりにも衝撃すぎて写真を撮り忘れたカオサン通り。これは動画のキャプチャ。

あまりにも衝撃すぎて写真を撮り忘れたカオサン通り。これは動画のキャプチャ。

先週、3年ぶりにカオサン通りを訪れました。カオサン通りにやってきたのはこれが5回目か6回目だと思いますが、いつ行ってもカオサン通りは私に新鮮な驚きをくれました。そして今回もです。はっきりいえば、今回の驚きは、よりめちゃくちゃ具合が進化していたという意味の驚きでした。ここから口調を変えます。

はっきり言って、世界のどの通りだって、今のカオサンほどめちゃくちゃではない。まず、通りのお店の5分の4が爆音のクラブになっている。ここでの勝者はよりうるさくしたものだ。だから、各店舗が通りに向かって爆音で音楽を流す。結果、全ての音が混ざり合い、ものすごい不協和音、いやポリリズムを成す。クラブだかバーだかの机や椅子は当然のように通りに迫り出し、通行人が通行できる領域はわずかしかない。彼らは道路が通行するためにあることを知らない。その狭い通路を、合法化(本当は合法ではない。なし崩しただけ)した大麻ショップ、大麻売り、大麻屋台が闊歩する。近年のタイの街並みを最も変えたのが大麻(なし崩し)解禁であり、ほぼ残りの5分の1を占める大麻ショップの店内だけがカオサンにおいて少し音量の少ない、安らげるエリアである。狭い通りには他に、サソリ売り、ラフガス売り、タトゥー彫り師、ヨーロッパ系観光客、アジア系観光客、その一瞬のスキをつくように無理やり突っ込んでくるインド系のバイク、爆音に耐えながら花を売るタイ人の少女、また大麻売り、酔っ払い、道端で寝る人、踊る人、ドラァグクイーン、飛び交うビール。自然発生するソンクラー(水賭け祭り)、爆音の中で1時間300バーツのセールスをするマッサージ屋、そのセールスに誘われて爆音の中でリラクゼーションを受ける白人男性、それらを眺めつつ悠然とパッタイを売り捌く人・・・。

世界のどこだって、こんなめちゃくちゃではない。これが祭りじゃなくて、毎日繰り返されるのである。戦争の地域には戦争の地域ならではの秩序がある。あるいは秩序を壊すのが秩序と言わんばかりの祝祭空間もある。しかしカオサン通りはカオスになりきっているわけでもない。ジャンキーが街に溢れている一方、悠然とパッタイを売る、マッサージを勧めるという日常さがそこにある。タトゥー彫士は爆音ノイズを避けるためヘッドフォンをしながら施術する。まるで戦時下だ。私が思うに、カオサンはいつも、世界の未来を敏感に感じ取るスポットである。どうやら世界はこの先、さらに緊張感のある、悪い状況に追い込まれてきているのかもしれない。これは天国に最も近い地獄かもしれない。ああ、カオサン、バンコク、タイ。仏のご加護を。

私とタイ1/19歳。居酒屋バイトと甘いソース

私がタイと言う国を知ったのはいつのことでしょうか。はっきりと覚えているのは19歳の頃、当時アルバイトをしていた居酒屋はかなりバブルの残り香ただようコンセプチュアルな会社で、グループとして居酒屋内に大きな仏像を置いたタイ料理をはじめとした無国籍アジア料理店を開いていました。

(当時の店内の様子がネットに落ちてないか調べましたがありました。「ブッツトリックバー」という店です)

私はそこで初めてタイ料理という存在を知りました。どれがベトナム料理で、どれがタイ料理かよくわかっていませんでしたが、よく覚えているのはえびせんのようなチップスに甘いソースをかけたお通しでした。あの甘いソース。ちょっと甘すぎてあまり好きではなかった。けど何故か、私はタイと聞くと、まずはあの甘いソースを思い出すようになりました。それが私のタイのファーストインプレッション。その後まさか私がこんなにもタイを愛することになるとはこの時は思いもしませんでした。

私とタイ2/29歳。深夜の外食。エスニック。

当時、三軒茶屋にあったタイ料理店「コンタイ」。もうないらしい。

当時、三軒茶屋にあったタイ料理店「コンタイ」。もうないらしい。

私とタイの関係は非常にスローリーでした。私は早くも29歳。下北沢のオフィスで毎日夜遅くまで働いていました。仕事が終わると空いているのは居酒屋かチェーンのファミレスぐらいしかありません。しかし私は居酒屋とファミレス以外の大きな選択肢に気づいたのです。それは今では「ガチ中華」と呼ばれることになる、中国人経営者による中華料理を始めとしたアジア系のエスニック料理、なぜかアジア系のレストランは夜遅くまで営業していることが多く、私の私はこの時期よく、夜遅い時間にアジア料理でお腹を満たしていました。この頃、タイ料理はどんなものなのか、どんな料理がありどんな味付けなのか、タイ料理について多くを学びました。私はガイヤーンもカオマンガイもスティッキーライスも大好きでした。しかしこの段階ではタイ料理は好きになっても、まだタイと言う国や、タイの文化について何も興味がありませんでした。

私とタイ3/アジアンブリーズ三宿店

マッサージ師「はいいきますよ〜」
私「あう」
(ぼきぼきぼき〜)
マッサージ師「お兄さん身体硬いねー」
私「はへ」
(痛いけど気持ちいいな)

タイ料理のあとは、タイマッサージのトリコになりました。深夜まで営業していた、三宿のタイマッサージ屋さんアジアンブリーズ三宿店(現存します!行ってみて!)で施術を受ける。それが20代の私の最大の贅沢。

私とタイ4/洪水(2011)、テロ(2014)。

インターネットってアーカイブ機能が便利よね。これは2011年のタイの洪水の様子(時事通信)。そして下が2014年、バンコクで起きたテロ(共同通信)。

2014年の爆破テロでは16人が犠牲となりました。

さて、30歳の頃、私は仕事で上海に頻繁にいくようになってからというもの、もともと海外が大好きだった私の海外心がむくむくと起き上がり、まずは忙しい会社員でも気軽に遊びに行ける東アジアや東南アジアによく出かけるようになりました。

タイは、そういう3日〜5日の旅行で選ばれる国の一つだと思います。ということでしばしば渡航先として候補に上がったのですが、なぜか私がタイに行こうとするたびに、洪水が起きたりテロが起きたり。それが2010年代前半の私。私はある時は行き先をベトナムに変更したり、ある時はバリ島に変更したりしました。なぜか、この時期、タイは私に門戸を開きませんでした。そういう運命のときってありますよね。好きなのになぜか一緒にいれなかったり、一緒にいようとしなかったり。

しかし今思うと、テロや洪水なんか気にせず、行けばよかったなと思います。タイという国は、テロや洪水が起こっても、なぜか大事にはならない安心感があります。今もカンボジアと諍いが起きてるそうですが、人々は気にする様子がありません。タイ人は、ほとんどのことを気にしても意味ないと思っているのです。私はそういうことの多くをタイという国のおおらかさから学びました。マイペンライ。

私とタイ5/FUTON(2011)

まだC-POPもアジアンミュージックもモーラムも何も知らなかったある日、あるタイのバンドが私の目に止まり、そしてまるで恋のように気になって目が話せなくなってしまいました。FUTON(布団)という不可思議な名前のバンドは、イギリス人、タイ人、日本人で構成されたメイドインタイのバンドです。当時のCDジャケットの宣伝文句があるので、それをそのまま引用しますね。

「元Psychic TV」+「元Suede」+「タイ人」+「日本人」=フトン!!
アジアのロンドン=バンコクが生んだ、新たなパンクロックの理想的なポップアート。

バンコクがアジアのロンドンってまさに言い得て妙!バンコクなんて遅れた途上国だろと思ってる皆さんをノックアウトする音楽を2011年にタイは生んでます。そしてこのバンドが、異なる人種の集合体であることが、いかにもタイらしさを表していると思います。アメリカが人種のサラダボウルだって!? アジアにはタイがあるんだぜ。

それにしても、バンコクのわけわかんなさ、無機動さ、エネルギーさをこのバンドはよく表していると思います。

HOOK/カオサン通りの現況rap

Yo, 言いたかねぇけどマジでヤバい この通り、今のカオサン 地球最狂の舞台 五分の四がクラブ、鼓膜ブチ抜くサウンド 静寂は敗者、騒音がこの街のクラウン

スピーカーぶち上げる両サイドの店 爆音がぶつかり合い、音のバベルの塔建ててんぜ 和音なんてどこ吹く風、不協和音?いや、ポリリズムのカオス描いてんだぜ

テーブル椅子が歩道を占拠 歩けるスペースはスニーカー半歩 通りは誰のもんだ?店か人か?いや、吸ってるヤツらの楽園か

合法?冗談キツい、ルールは崩壊済み 大麻ショップ、ヤバい売人、屋台までトリップ気味 煙の奥が、唯一の“静寂”スポット?皮肉すぎて笑えねぇよ

道にはスコーピオン売り、ラフガス、彫り師、観光の波 白人もアジア人もごっちゃ混ぜ、すれ違いざまにバイクがカチ込みかまし 花売り少女が音の嵐に耐えながらステップ、 その横で酔っ払いが転がり、ドラァグクイーンが夜を染めてく

寝る者、踊る者、叫ぶ者、売る者 ビールが空を飛び交って、常識が路地裏に消えた夜 ここは世界の果てじゃねぇ、でも中心でもねぇ これはカオサン、狂気と自由のジャムセッション、毎晩フェードなしのプレイ

私とタイ6/最初のタイと涅槃寺(2017)

2017年のカオサン通り。今と違って、爆音のクラブは数えるほどしかなく、どちらかといえばストリートベンダー(洋服含む)が目立つ。ここから8年後、まさかこのストリートベンダーたちが爆音に耐えかねて逃げ出すようになるとは思いませんでした。

2017年のカオサン通り。今と違って、爆音のクラブは数えるほどしかなく、どちらかといえばストリートベンダー(洋服含む)が目立つ。ここから8年後、まさかこのストリートベンダーたちが爆音に耐えかねて逃げ出すようになるとは思いませんでした。

こうしてかなり出遅れつつも、ついに私も最初にタイに行ったのは2017年(36歳)。遅いタイデビューでしたが、デビューらしく早速生野菜だか激辛料理だか生牡蠣だかのどれかでお腹を壊し、帰国後も1ヶ月ぐらいおなかを壊していました。

しかし、そんな目に遭いつつも、予想に反して私はタイに一目惚れしてしまったのでした。それは、バンコクの王宮の近くにあるワット・ポー(その名も『涅槃(ねはん)寺』)を見た時です。

関西に生まれた私にとって、大仏とは奈良の大仏を指しました。奈良でも鎌倉でもいいのですが、日本の大仏は常に胡座の体制で座って、念仏を唱えているのです。一方、バンコクの大仏はどうでしょう。

寝転がって、まるでソファでテレビを見るような体制でリラックスしているではありませんか。私はこの大仏を見た時、不勉強ながら大仏には様々なポーズが存在することを知らず、そしてこのピースフルな大仏を見て、タイとバンコクという土地が持つ、無問題(マイペンライ)な精神、リラックスこそ重要なことである、と悟ったのです。うん、このリラックス精神は、私が会得すべき何かかも。それまで宗教に縁のなかった私がタイの涅槃寺で何かを得たのは、とても有意義なことでした。

私とタイ7/映画:バッド・ジーニアス(2017)

タイ・バンコクへのショートトリップも束の間、私はとあるタイムービーの魅力に出逢います。それは私だけでなく、タイにとっても、タイ映画をネクストレベルへと押し上げる名作でした。

2017年、バッド・ジーニアスは受験勉強とカンニングをテーマにした秀作。もともとCM畑にいた監督、ナタウット・プーンピリヤのスタイリッシュな映像によってこの映画は、ありふれた青春モノとも、あるいは社会に継承を鳴らす社会派ムービーとも違うLookをしています。あえていえばこのスタイリッシュさとカンニング行為のヒヤヒヤ感を繋げた感覚はギャングムービーや007などのスパイモノの魅力と言っていいと思います。

またしても私はタイにノックアウトされました。あの甘ったるいソースの、マイペンライの国から、lこんなスタイリッシュな映画が登場するとは。しかもFUTONのような異国人の手によってではなく、タイ人自らの手でこんな映画ができるとは。。。

私とタイ8/コンドミニアム取材(2018)

私はこの時、取材でバンコクを訪れていました。今より私が経済的に勢いがあったころ。海外に不動産を持ってみたいという夢を叶えるため、とある経済誌のライターとしての取材でバンコクのコンドミニアムを内覧していました。

タイに不動産を買うメリットはいくつかあります。

1.タイの不動産は安い。

ハワイだとかオーストラリアだとかシンガポールだとかと比べて格段に不動産が安いことが挙げられます。私が購入した2018年は500万円出せば単身用ですが立派なコンドミニアムの部屋が変えました。

2.タイは外国人購入者向けの法整備が比較的しっかりしている。

例えばベトナムとかインドネシアなど、タイと同様に不動産の価格が安く温暖な地域はあります。しかし、かつて社会主義だった国、軍国主義だった国の多くは外国人による不動産購入を制限しているケースが多く、そのためベトナムであればベトナム人の名義を使って購入するなど脱法的な購入方法をする人も多いのですが、いざ揉め事が起こったときに名義貸しなどの方法で購入していてはかなりトラブルになりそうです。タイは、コンドミニアムの部屋単位であれば、外国人でも個人で所有できます(正確には、マンションの2分の1を超えない範囲で購入可能)

3.タイ行きのフライトは比較的安定していて、価格も安い。日本人も多い。

いくら、安くて法整備がしっかりしている国でも、日本から遠く、高額なフライト料が必要であれば頻繁に訪れることができません。その点、タイは日本からのフライトの本数が多く、比較的価格も安定しています。さらに在住の日本人が多く、何かトラブルが起きても現地の日本人コミュニティを頼ることができます。

4.治安がいい。ご飯も美味しい。

1〜3の条件を満たすのはタイの他にフィリピンもありますが、タイはフィリピンよりも治安がよく、ご飯も美味しいです。長く滞在することを想定しているのであれば、ご飯が美味しいかどうか、治安がいいかどうかは重要なポイントでしょう。

そんなことを調べあげて記事で紹介しました。そして、この記事の結論通り、私はタイで不動産を買うことを決意したのです。日本がいつか戦時化に入るかもしれない、日本だけに資産や人脈を全振りするのはリスクなのではないか、との思いから、私はタイという国に慣れてみようと思いました。

HOOK/カオサン通りの現況カットアップ

言いたかねぇけどマジでヤバいんだよ。この通り、今のカオサン──planet Earth's wildest freak show、地球で一番、狂ってる場所かもしれない。五分の四がクラブ、鼓膜はブチ抜かれ、静寂なんてものはここでは敗北。騒音こそがこの街のクラウンだ。両サイドのスピーカーが限界までぶち上がり、音と音がぶつかり合って、空中にバベルの塔を建てている。不協和音?いや、これはポリリズム。混沌が美学として成立してしまった場所。テーブルと椅子が歩道を侵略し、歩けるスペースはスニーカー半歩分。その細い隙間を、花を売る少女が音の嵐に耐えながらステップしている。通りは誰のものだ?商売人か、観光客か、それとも──สูบแล้วหัวเราะกันทุกคน、吸ってるヤツらの楽園か。合法?冗談はよしてくれ、ルールはとっくに崩壊してる。煙の奥に唯一の“静寂”があるなんて、皮肉すぎて笑えない。スコーピオンを串に刺して売る男、laughing gasを吸う若者、全身刺青の彫り師、白人もアジア人もまざり合い、バイクがすれ違いざまに横腹へとカチ込みをかます。その横で、drag queenがヒールを鳴らしながら夜を染め、酔っ払いがアスファルトの上でdreaming under strobe lights。寝る者、踊る者、叫ぶ者、売る者。ビールは空を飛び交い、常識はいつのまにか路地裏へとfade out。ここはโลกの果てじゃない。でも中心でもない。ただし確かなのは、これはKhaosan—freestyle of chaos and sweet decay、狂気と自由のジャムセッション、毎晩フェードなしで続くノンストッププレイ・・・

私とタイ9/Lover Boy/PHUM VIPHURIT(2018)

時は2018年。タイのカルチャーシーンは伸び盛り。皆さんはこの曲知ってますか? いい曲でしょ? タイ好きのアンセムなので知っておいて損はないです。この曲や、あるいはマムアンちゃんなどの人気で、それまでのバックパッカー向けの土地から、カルチャー好きの間でもタイというのは注目度を高めていきます。シティボーイ御用達の雑誌、ブルータスが特集組んだりしてね。

Phum Viphurit(プム・ヴィプリット。覚えづらいのでプムでOK)のこの曲は、MVの、「え、ここハワイか西海岸?」という映像美とともにとても印象的な曲です(実際はタイ・パタヤのビーチ)。登場するタイ人の美女もとってもキュート。

この曲を中国・成都発で世界的に人気のHip Hopグループ、Higher Brothersがカバーしたバージョンもありますがそれも最高です。私の目にも、アジアから何かが盛り上がってくるのがはっきりと確認できるようになりました。よかったら合わせて聞いてみてください。

Lover Boy/Phum Viphurit & Higher Brothers

私とタイ10/カオサン通りでアレックスと出会う(2019)

その後の私は、コロナが始まる2020年まで、頻繁にタイを訪れていました。たぶん私のタイ愛は、この頃が最強に深いと思います。ある時はバンコクからチェンマイに出向いて、とにかく街の定食屋からなにから何までどこでもWi-Fiが通ってる環境に驚き(タイは世界でも珍しく携帯電波5Gの先進導入地域で、インターネットが早いです。インターネット回線を早くした国がその後成功したのは韓国編(92号)でも紹介した通り)、ますますタイを好きになりました。今思うと、私とタイとの関係は、この頃が最もよかったように思います。私はあの涅槃のブッダを思い出しながら、会社を辞めることを決意しました。

別のタイミングでは銀行口座を開設したり、またお腹を壊したり、パタヤやサメット島のビーチの美しさに惚れたり。そんな中で、私はカオサン通りのドミトリーでアレックスに出会いました(アレックスとの思い出は87号で存分に喋りましたね)。これも2019年のこと。アレックスのことはあの時たっぷり話したので、今回はおいておいて、カオサン通りがなぜこのようにバックパッカーに愛される土地になったのかを簡単に紹介します。

===

もともとカオサン通りが現在のように世界的に有名な通りになったのは、1970〜80年代、世界的に中産階級が増えて、旅行客が欧米や日本を中心に増えたことがきっかけです。

もともとはお米問屋が集まる場所だったこの地は、たまたま空港行きのシャトルバスの発着場であったことからバックパッカー向けの安宿が発達しました。その後はその安宿を取り囲むように、ツーリストに必要な気軽なレストラン(多くは洋食とタイ料理を同時に出す)、酒場、古着屋、バックパック屋、スーツケース屋などが増えました。その後、当時はインターネットなんかなかった時代、日本の旅行代理店では買えないような安い航空券が集まり、ツーリスト同士の情報交換も含めて、主にバックパッカーにとっての大事な場所となりました。一方、当時はまだまだ法整備のゆるい国ならではのトリップ作用をもたらすプラントなどを取り扱う店、日本の免許証そっくり、世界の学生証そっくり(学生証があればあらゆる史跡に学生料金で入れる)のジョークグッズも出回る、どこかいかがわしい雰囲気も漂う、怪しくも魅力的なエリアに成長します。誰が名付けたかカオサン通りは、「バックパッカーの首都」との異名も受け取ります。

そうやって旅人に愛されたカオサン通りは、主にインターネットの発達、それに伴うツーリストの変化によって、安宿街としての役割、情報交換の場としての役割を終えていきます。一方、カオサン通りは世界的にすっかり有名になり、本来の目的を失ったあとも、旅人の交流地点としての役割を残し、外国人が多く訪れる場所としてタイ人の間でも人気の場所となり(日本でいえば六本木や浅草のような現象ですね)、今にいたるまで旅人の中継地点、目的地であり続けています。

HOOK/カオサン通りの歴史とカットアップ

シャトルバスの発着場であったこと。スーツケース屋、バックパック屋、安い航空券、いかがわしい学生証、時代の残像。六本木か浅草か、通りの名はカオサン。だが誰もそこを見てはいない。目的を失った観光客たちが安宿のまわりを回転する、銀河のように。回れ回れ、旧中産階級の亡霊たち。

—「バックパッカーの首都」とは誰の発明か?—

情報の海に沈むカオサン。掲示板は死んだ。ツーリストたちはクリックで地図を開く。旅人たちはもはや歩かない、スクロールする。お米問屋の記憶はどこへ消えた? シャツとビールと眩しいライトの奥で、あの頃の日本人は格安航空券を握りしめ、学生証を偽装して遺跡をくぐった。

たしかに、70年代。あるいは80年代。中産階級の増殖。日本と欧米が吐き出したリュックサックとTシャツとノスタルジー。情報は口から口へ。耳に耳へ。クラブもWi-Fiもなかった時代、旅人たちは酒と情報とプラントの幻覚に酔った。

「今はただの観光地ですよね」 誰かが言った。 「昔はもっと…いや、なんでもないです」 ノイズのような記憶が通りにこびりついて剥がれない。

大麻の匂いと揺れるネオン、バンコクの中で異様に発光するこの一角。国境も、通貨も、モラルもあいまいに溶け合い、観光客の目にだけ奇妙に優しい。安宿街という名の皮膚はもう脱ぎ捨てられた。だがその抜け殻を、誰かがまだ「旅」と呼んでいる。

レストラン、タイと洋食が同じ皿に盛られ、フォークとスプーンが混在するように、カオスが秩序のふりをして座っている。今なお続く旅人の通過儀礼、通りすがるだけの存在、あるいは最終地点。

お米は売られない。代わりにトリップが売られてる。合法でも違法でもない、なし崩しの感覚の中で。

世界中から来た顔たちが、夜に沈み、朝に浮かぶ。誰もがこの通りの歴史を知らないまま、しかしその残響の中で踊っている。

私とタイ11/私とタイとコロナ禍

しかし、2020年から、世界はコロナ禍という新たなフェーズに突入しました。

その後だいたい2年の時を経て再び自由に世界へ渡航できる日々が戻ってきましたが、私はタイ、特にバンコクへの一方的な、過剰な愛がなぜか変質していました。今までの愛がパッキングされてフリーズされたような感覚。

その後2022年にタイの南の島を渡航し、特にサムイ島やパンガン島に魅了され、私のタイ、特にバンコク愛は相対化していきました。来るたびに私のコンドミニアムは経年劣化し、はっきり言って私のマンションは負の遺産化しました(笑)。今はバンコクに来るたびに、埃まみれの部屋を咳き込みながら清掃し、管理人室に行って止まっている水道を開栓する作業をし、毎年都会になるオンヌット(私のコンドミニアムの最寄り駅)を眺めています。

ねえ、私とタイはいつまで、こうしていられるんだろう。

私のタイ愛はどこか中途半端なまま、派手にフられることもなく、のんびりと続いています。

マッサージ師「You thought difficult. 肩と首凝ってるよ」
私「ほへ」
(ま、どうでもいっか)

Nobody knows/STAMP & Christopher Chu

アウトロ/私とタイとコロナ禍とカットアップ

Yo、静寂は敗北だ、 目玉の裏でFUTONが流れる、バンコクはソファの上で横たわる大仏。 遺跡の裏で誰かが学生証を偽造してる、ドラァグクイーンが泡吹いて踊ってる、 オンヌットの埃を肺に溜め込んで、俺は水道のバルブを開く。 夢のコンドミニアム、負の遺産、毎年劣化する記憶の部屋。

通りは誰のもんだ?いや、マイペンライのもんだ。 シャトルバスは発着しない、今はクラブが通りを発着する。 スピーカーぶち上げる両サイドの売人、 テキーラを水の代わりにして花を売る少女がラフガスを吸う、 ビールは空を飛び交い、爆音が空をねじ曲げる。

「今はただの観光地ですよね」 誰かが言った、それはたぶん俺。 頭の奥でナタウット・プーンピリヤが編集してる、 この通りはスパイ映画か?それともカンニング試験か? 007がタイパンツ履いてスコーピオン串刺しにしてるシーンがフラッシュする。

タイの大仏は寝てる、奈良は正座、でもここは寝転ぶ、 寝る、踊る、叫ぶ、売る。 これは世界の端か?いや、中心でもない。 ここは通過儀礼、嘔吐するだけのポータル。 合法じゃない大麻ショップの奥で、微笑みながら誰かが消えてった。

スクロールする観光客たち、歩かない、汗もかかない、 その代わりWi-Fiで現地を理解したつもりになる、 トリップは画面の中じゃ起きないって言っただろ? 昔の日本人は航空券を紙で持ってたんだぜ、耳から耳へ情報を流して。

500万円で買った夢の部屋、湿気と共に崩れてく。 FUTONのCDジャケットが壁に貼ってある、 「元Suede+元Psychic TV+タイ+日本」=アジアのロンドン。 パンクは湿気に負けない、ただ黴びるだけ。

カオスが秩序のふりして座ってる、 クラブか?寺か?バックパッカーか?国境はどこだ? 俺は旅人だ、でも今日だけは管理人室で水道の栓を回す神だ。

シャツとスーツケースとスコーピオン、 爆音の塔の頂点には誰もいない、 ただバイクがすれ違いざまにかち込んできて、 カオサンの神経はショートしてる。

合法/違法/冗談/現実 全部なし崩しの中で、俺はまだこの場所に愛を感じている。

いや、たぶん幻覚かもしれない。

====

(※)今号はウィリアム・バロウズの「裸のランチ」に倣い、一部をカットアップの手法を用いて制作しました。一部はAIによって自動生成された文章を混ぜています。

制作風景

制作風景

おわりに カオマンガイとチキンライス

助手「船長、船長ってば!」
船長「なんだよー」
助手「船長はシンガポールで食べたチキンライス覚えてます??」
船長「もちろん。高級店のチャターボックスで食べたやつも屋台のやつも美味しかったな」
助手「じゃあじゃあ、カオマンガイはどうです?」
船長「そりゃカオマンガイは美味しいよ。ピンクのカオマンガイも最高だね」
助手「チキンライスとカオマンガイって区別つきますか?」
船長「バカだなあ。そりゃ両方食べたことあるんだから違いぐらいわかるよ。手元の百科事典にも載ってるよ。カオマンガイは鶏を茹でて、チキンライスは蒸すらしいよ」
助手「いやー、でも、なんか、どっちも一緒に思えるんですよ。ということで、タイでチキンライス食べたらわかりますよ」
船長「なるほど。うーん、美味しいなこのお店」
助手「カオマンガイとどっちが美味しいです??」
船長「うーん・・・・どっちも同じぐらいだね。。というか、味の違い、よくわかんないや」
助手「でしょでしょ!日本人からしたらカオマンガイもチキンライスもおんなじなんですよ」
船長「キンパ(韓国料理)と海苔巻きが一緒って言われたら怒るけどね」
助手「愛国心なんて勝手なもんですね。。」

(つづく)

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